2018/12/06
戸塚啓 スポーツライター
『壁を超える』角川新書
川口能活/著
サッカー元日本代表の川口能活が、2018年シーズンを最後に現役から退いた。
日本のサッカーファンにとって、「川口能活」という名前はタイムトリップの「鍵」のようなものだろう。
1996年のアトランタ五輪で、彼と前園真聖、中田英寿らを擁するU-23(23歳以下)日本代表は、サッカー王国ブラジルを1対0で撃破した。川口は28本ものシュートを浴びながら、ゴールを許さなかった。
98年のフランス、2002年の日本と韓国、06年ドイツ、10年の南アフリカを舞台としたワールドカップで、川口は日本代表のメンバーに名を連ねた。フランスとドイツでは、チームの全試合に出場している。
アジアの頂点を争うアジアカップにも、力強い足跡を残した。00年のレバノンと04年の中国で日本代表の大会連覇に力を注ぎ、ベトナムなどの東南アジア4か国で共催された07年大会でもベスト4入りしている。
日本サッカーがアジアのトップへ登りつめ、世界へ飛び出していった過程は、そのまま川口のキャリアに重なる。あの日、あの時、あの場所で、自分は何をしていたのかを呼び覚ましてくれる意味で、彼はサッカーファンの記憶の扉を開く「鍵」のような存在なのである。
2017年10月発刊の本書には、自身のキャリアを振り返りながらいかにして「壁を乗り越えてきたか」が語られている。大会や試合を事細かに追いかけているわけではなく、その合間で揺れる心情が素直に明かされたものだ。
通読して読者が感じるのは、「川口ほどの選手でも、こんなに苦労をしてきたのか」といったものだろうか。試合に出られない彼が何を思い、何にすがり、何に助けられたのかが、浮かび上がってくる。
サッカーを取材するスポーツライターとしては、2001年から03年にかけてのポーツマスでの日々が生々しい。
ポーツマスはサッカー発祥の地イングランドのクラブで、川口が移籍した01年秋当時は2部リーグに所属していた。プレミアリーグと呼ばれる1部昇格への切り札として、日本人GKは招かれたのである。移籍金は当時のポーツマスの最高額だった。
ところが、川口が加入してもチームの成績は上向かない。アマチュアチームも出場できるトーナメントでは、ポーツマスよりカテゴリーの低いクラブにホームで惨敗してしまった。
チームの不振にストレスを溜めていた地元のメディアとファンは、川口を激しく糾弾する。期待値が大きかった反動として、日本からやってきたGKは責めたてられた。
それだけなら、川口も耐えることができただろう。
敗戦の責任を負わされるような記事は、日本でも書かれていた。97年のフランスW杯アジア最終予選では、予選突破の窮地に立たされた試合後にビリビリに破かれた自分のポスターを目にした。結果を残せなければ叩かれるのは日本でも経験済みであり、外国人となったイングランドではより厳しい視線にさらされることも覚悟していた。
彼を追い詰めたのは、本来なら選手を擁護するクラブの理不尽さだった。メディアとサポーターの風圧に耐えきれないフロントは、自国のGKを緊急補強した。川口の練習参加を拒否し、高校生年代のチームに混じってトレーニングをさせた。
会長は川口に帰国を勧めた。「日本へ帰国した」というガセネタも流された。
世界的なGKを数多く輩出してきたイングランドで成功を収めたいという夢も、野心も、プライドも、すべて粉々に引き裂かれた。
それでも、川口はポーツマスを離れなかった。通訳もマネジャーもいないたったひとりの闘いを続け、最終的にはトップチームへの再合流を勝ち取ったのだった。
苦しくて、悲しくて、身悶えするような日々も、のちに価値を持つから人生は分からないものだ。ポーツマスで過ごした時間さえプラスに転化したことが、この本を読むと明らかになる。
それにしても、濃密なキャリアである。彼の25年間は、文字どおり「壁を超える」ことの連続だった。
『壁を超える』角川新書
川口能活/著