仕事は希望であってほしい。「不満の種」をやりがいに変える――「働く」を考える本(2)

三砂慶明 「読書室」主宰

『なぜ働くのか』朝日出版社
バリー・シュワルツ/著、田内万里夫/訳

 

写真/濱崎崇

 

経済成長の失速、所得格差の拡大、貧困や介護の深刻化……。

 

毎日報道されるニュースを眺めていると、働いても働いても社会は良くなるどころか、ますます劣化しているようです。

 

『壊れた世界で“グッドライフ”を探して』(NHK出版)が教えてくれたのは、効率よく稼げる仕事は格差を拡大するだけでなく、環境を破壊し、さらには土台となる社会そのものにも深刻なダメージを与えているのではないかという気づきでした。

 

しかしながら、働くことは必要です。

 

有史以来、人生の大部分の時間を働くことに割かざるをえない人間社会において、仕事は希望であってほしい。今日よりもきっとよい明日のために働きたい、という願いを実現するのは、それほどに困難なことなのでしょうか?

 

そのことを考えるために、おすすめしたい本があります。

 

実験心理学者のバリー・シュワルツは、『なぜ働くのか』(朝日出版社)で、世論調査会社ギャラップのレポートを紹介しています。

 

ギャラップ社は、働く人の満足度に関する国際的調査を約20年前から行っており、その最新の調査報告(142か国の正規・非正規雇用者23万人が対象)によれば、90%近くの人にとって仕事は、満足よりむしろ不満の種になっているといいます。

 

つまり90%の大人が、居たくもない場所にいて、やりたくない仕事をすることに、自分の生活時間の大半を費やしているというのです。

 

たしかに、私自身も求職活動を通じて、最初からやりたい仕事につけたかといえばそうではありませんでしたし、やりたい仕事だからといって、その適性が本人にあるかは全く別の問題です。その上で考えたいのは、なぜ仕事と人の間に、これほどまでのミスマッチが起こっているか、です。

 

その原因をシュワルツは、仕事の効率(もしくは生産性)とインセンティブの関係から解き明かしています。そもそもなぜ、ビジネスの第一原理に「効率」が置かれているのでしょうか?

 

アダム・スミスは、現代社会の起点ともいわれる名著『国富論』(日本経済新聞出版社)を、労働者の生産性を考えることからはじめています。

 

 

「わたしは小さなピン製造所をみたことがある。そこで働いていたのは十人なので、何人かは二つか三つの作業をこなしていた。とても貧しい作業場で、必要な機器も最低限のものしか揃っていなかったが、それでも懸命に働けば、(中略)一日に四万八千本以上を製造でき、一人当たりにすれば、一日に四千八百本を製造できる計算になる。しかし、十人がそれぞれ一人で働くとすれば、(中略)一日に二十本を作ることはできない」

 

スミスは分業によるピンの生産効率を職工と比較した場合、二百四十倍違うことを、すでに一八世紀に指摘しています。ただし、毎日、毎時間、ただピンを作るための製造ラインの仕事にやりがいを見出すことはできるのでしょうか?

 

アダム・スミスの答えは、もちろん、そのような職場で仕事を楽しむ人はもちろんいない、という結論でした。つまり、いかなる仕事であれ、働く理由というのは「対価」にある、というのがスミスの思想です。この労働生産性を最大限高めるために報酬、インセンティブを与えるというスミスの思想のもと、資本主義は発展してきました。

 

もちろん、難しい技術やトレーニングを必要としない組立ライン式の流れ作業が、産業革命以降の爆発的な経済成長を支えてきたことを私たちは知っています。しかし、アダム・スミスのモデルを最も忠実に引き継ぎ、成功させた、二十世紀の覇者ヘンリー・フォードのデトロイト市が、絶頂を極めた後に経営破綻したのは、記憶に新しい出来事です。

 

シュルツが豊富な事例とともに紹介しているように、仕事の最高のパフォーマンスを引き出すために用意されるインセンティブという報奨制度は、往々にして正反対の結果を導きます。

 

経済学者のブルーノ・フライは、金銭的インセンティブがなくてもよく働こうというモチベーションを持っている人に対して、それを上乗せしようとすると、彼らのモチベーションは高まるどころか低下してしまうと報告しています。また、心理学者のエドワード・デシらは、金銭の追求といった「外発的」動機付けが、いかに「内発的」動機付けを弱めることになるかを議論しています。

 

ルーティーン化された無意味な労働を賃金が埋め合わせることはできない、ということはギャラップ社の調査報告をみれば明らかです。

 

見過ごしてはならないのは、効率を追求する結果、締め出された労働者の「やる気」が、企業の収益にも影響を与えるという事実です。一例としてシュルツが紹介するのが、ある大学の話です。

 

アメリカの多くの大学は、学生を雇って在学生の保護者や卒業生に寄付を求める電話をかけさせています。膨大なリストを前に、2時間、3時間と出てくれない相手に電話をかけ続けるのは苦痛であり、成功率も非常に低い苛酷な仕事です。ところが、勧誘の目的を意識させる仕掛けをほどこせば、大きな変化が生じたといいます。

 

この部署の担当者が、電話勧誘による奨学金で就学の機会を得て人生が大きく変わったという学生を一人、仕事の現場に連れてきて、学ぶことのできる幸せと寄付金への感謝について語ってもらいました。奨学生の話を聞いた勧誘係の学生たちは、また苛酷な仕事へと戻っていきましたが、彼らの仕事に大きな変化が起きました。仕事の内容も賃金も変わっていないにもかかわらず、彼らは大きな成果を出したというのです。

 

本書を読んでいて驚いたのは、弁護士や医者のような専門職だけでなく、病院の用務員やカーペット製造業者、美容師など、本書で紹介されるおよそありとあらゆる仕事に、人に満足を提供するという要素が内在しているということです。主体性をもって物事を見ることができれば仕事は有意義になる、とシュルツはいいます。

 

本書が読者に問うのは、仕事というものが、人間の本質に深くかかわっているという事実です。

 

働くことを通じて、私たちは何を求めているのか。

 

本書に書かれているのは、これからの社会を生き抜くために不可欠な、人生への大きな問いです。

 

『なぜ働くのか』朝日出版社
バリー・シュワルツ/著、田内万里夫/訳

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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