2019/02/14
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『中年男ルネッサンス』イーストプレス
田中俊之・山田ルイ53世/共著
宮台真司になりたかった。しかし、なれなかった。
中年男子の生き方を模索する本書『中年男ルネッサンス』の中で、著者である男性学の第一人者・田中俊之氏は、こう告白している。田中氏と同年代で、同じような諦念を抱いている社会学関係者は少なからず存在するだろう。
社会学者の宮台真司氏は、1990年代に援助交際やオウム真理教の問題を論じる学者としてデビューして以降、政治からサブカルチャーまであらゆるテーマを自在に論じ、左右問わずあらゆる論敵を軽々と論破する八面六臂の活躍を見せ、一部の若者の間で教祖的な人気を博していた。1990年代の社会学はまさに「宮台真司の時代」であり、多くのエピゴーネン(模倣者や追従者)を生み出した。
田中氏よりも世代はやや下になるが、私自身もそのエピゴーネンの一人だった。
15歳の高校時代に宮台氏の著作にハマり、『終わりなき日常を生きろ』から『サイファ 覚醒せよ!』まで、当時刊行されていた全ての著作を暗記するまで読み込んだ。宮台氏に憧れて東大を目指し、社会学専修課程に進んだ。二年間、本郷から南大沢にある東京都立大の宮台ゼミまで毎週片道1時間半かけて通いつめ、必死でメモを取った。
しかしどれだけ勉強しても、いや、勉強すればするほど、「自分は宮台のようには絶対になれない」という絶望と諦念だけが強まっていった。
鬱々とした日々の中で、いつの間にか私は「無理に宮台のようにならなくてもいいのでは」と自分に言い聞かせるようになっていた。
スタープレイヤーやマルチプレイヤーは、そこかしこにいたら意味がない。文脈に囚われずにあらゆる問題を論じることのできる一般理論の使い手は一人で十分だ。
だとすれば、局所的な領域で確実に成果を出せる「小確効」(小さくても確かに効果のあるソリューション)の使い手になることを目指すべきではないだろうか・・・。
お笑い芸人で例えれば、冠番組を持つような正統派の大物を目指すことを諦め、シルクハットをかぶり、ワイングラスを持った「貴族」の一発屋芸人として生きる髭男爵・山田ルイ53世氏のように、特定の文脈に拘束されることをあえて選択し、その中で戦うことを決意したわけだ。
結果的に、その選択は間違ってはいなかった。「性にまつわる社会課題の解決に取り組むNPO」という自らのポジションを確保することで、どうにか40歳近くまで生き延びることができた。
ただ、生き延びることはできたものの、宮台氏のような「何者か」になる、という15歳の頃に抱いていた目標は、未だに果たせていない。
私の人生、本当にこれで良かったのだろうか。不可能とは分かっていても、それでは生きていけないと分かっていても、「何者か」になるために、逃げずに戦うべきだったのではないだろうか。
そんなモヤモヤを抱えていた中、オンラインサロンのあるゼミ生から、「坂爪真吾は宮台真司を超えられなかった。しかし、それによって宮台真司を超えたのではないでしょうか」と言われた。
何を言っているのかよく分からないかもしれないが、言われた私はとても嬉しかった。
「何者か」になれなくても、「何者か」を超えることはできるんだ、と。
私たちが10代の頃に思い描いていた「何者か」とは、抽象的でぼんやりとした存在だったはずだ。アーティストやタレント、有名な学者やスポーツ選手のように、特定の文脈に囚われず、領域やしがらみを軽々と飛び越え、顔の見えない不特定多数の他者に対して、大きな感動や興奮、勇気を与える存在。不特定多数の他者から愛され、称賛される存在。
しかし40歳になれば、10代や20代の頃とは見える景色、日々接している人々、行動や思考、自らの力で影響を与えられる範囲は全く異なっているはずだ。
顔の見えない不特定多数の誰かにではなく、時代や環境の中で与えられた文脈の中で、顔の見える特定の相手に対して、確実な利益や愛情を与えることの方が大切だと気付くはずだ。
中年男子が40歳以降にやるべきことは、「何者か」になれなかったことを悔やんだり、「何者か」になっているかのように思える同世代を妬むことでもない。
文脈に拘束されることをきちんと引き受けた上で、自分のやるべき使命を果たすこと。手の届く範囲の相手を、確実に幸せにすること。それができる人は、「何者か」を超えた「何者か2.0」になれるはずだ。
そんな「何者か2.0」になるためのヒントが、本書には詰まっている。
『中年男ルネッサンス』イーストプレス
田中俊之・山田ルイ53世/共著