「数字」で世界をより良い場所に。きれいごとが嫌いな人のための『〈効果的な利他主義〉宣言!』

一ノ瀬翔太 編集者

『〈効果的な利他主義〉宣言! 慈善活動への科学的アプローチ』みすず書房
ウィリアム・マッカスキル/著 千葉敏生/訳

 

「売れますよ」
「根拠は?」
「面白いからです」
「主観じゃなくて数字を出せ!」

 

編集者あるあるである。「面白い」のは前提として、この作品を刊行することでこれだけの利益を出せますよ、と会社を説得できなければ、企画は通らない。出版不況と呼ばれるこのご時世、そこは厳しく問われる。それでわれわれは、過去の売上データなどから、何らかの数字を示そうとがんばるわけだ。

 

効果的な利他主義者は、編集者と少し似ている。彼らの目指すところは世界をより良い場所にすることであり、せこい商売の話は基本的に関係がない。にもかかわらず、彼らは「便益の数値化」を追求するのだ。「たまたまあなたがいちばん心を動かされた活動ではなく、最も影響が大きいという証拠がある活動を支援しなければならない」と、本書『〈効果的な利他主義〉宣言!』は述べる。

 

どの慈善団体に寄付するか、何のボランティア活動を行なうか、はたまた医師や政治家になるのか。世界に影響を与える方法には、無数の選択肢がある。しかし、私たちの使えるお金と時間には限りがあるから、本当に世界を良くしたいなら、それぞれの効果を数値化して比較し、最善の行動を見極めなければならない。

 

そのために本書が用いる指標のひとつが、質と量の両面に着目する「QALY(質調整生存年)」だ。1QALYは、1人の健康的な生活1年分に相当する。この指標を使って、40歳のエイズ患者の抗レトロウイルス治療と、20歳の患者の失明を防ぐ手術、どちらに1万ドルを寄付すべきかを考えてみよう。

 

検討すべき事柄のひとつめは、「量」の側面、すなわち治療によって寿命がどれだけ延びるか、である。エイズ患者の抗レトロウイルス治療を受けると、エイズ患者の寿命は5年から10年に延びる。一方、失明を防ぐ治療は、受けても受けなくても患者の寿命は変わらず、70歳まで生きられる(ここでは架空の数字が用いられている。現実には個人の寿命は不明なので、平均寿命で計算する)。

 

では、少しでも寿命を延ばせる「エイズ患者の治療」に寄付したほうがよいのか。それをジャッジするには「質」の側面にも目を向ける必要がある。抗レトロウイルス治療を受けていないエイズ患者は生活の質を完全に健康な状態の50%、治療を受けている患者は90%と評価している、というWHOの調査データがある。したがって治療によってもたらされる便益は、最初の5年間は「40%×5年」、治療によって延びた5年間は「90%×5年」で、計6.5QALYと導ける。

それに対して、失明を防ぐと、患者の生活の質は40%から100%に上昇する。よって治療の便益は、60%×50年=30QALYとなる。かくして効果的な利他主義者は、エイズ治療ではなく、より便益の大きなこちらに寄付しようと決める。

さらに、これらの寄付と、寄付以外の選択肢の便益を比較することも可能だ。たとえば、あなたが医師になって人命を救うことでどれほどの便益をもたらせるかを考えてみよう。ここで、ひとりの医師の平均的な価値を評価しようとするのは間違い。現在アメリカには推定87万8194人の医師がすでに存在しているからだ。あなたが87万8195番目の医師になったとして、いったいどれだけの差につながるだろうか?

 

推定される答えは、生涯で4QALY未満。数人の命を救うのでやっと、ということだ(もちろんそれでも素晴らしいことだが)。ほとんどの人は影響力のあるキャリアを選ぼうとするときに「寄付するために稼ぐ」という選択肢を検討しないが、実は一般にそのほうが、医師になるよりもはるかに大きな影響を及ぼせるのである。

 

数字・データを正しい見方で見ることで意外な事実が浮かび上がる点は、話題の本『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』にも通ずる面白さだ。ちなみに同書は、災害が起きたときには「感情的にならずにソロバンをはじき、将来できるだけ多くの命を救えるように、資源が分配できているか確かめよう」と提言し、医者に対しては「顔が見える患者や被害者に集中しすぎて、数字を無視するようではいけない」と注意を促す。まさに「効果的な利他主義」的な姿勢だろう。

 

「『心』と『頭』を組みあわせれば、つまり利他的な行為にデータや合理性を取り入れれば、私たちの善意を驚くような成果に変えることはできるのだ」と、本書『〈効果的な利他主義〉宣言!』は力強く宣言する。日頃の業務で費用対効果などの数値化を行なうビジネスパーソンであれば、私がそうであるように、本書の主張には納得感を覚えるはずだ。きれいごとを並べられても心に響かないという人にこそ、一読をおススメしたい。

 


『〈効果的な利他主義〉宣言! 慈善活動への科学的アプローチ』みすず書房
ウィリアム·マッカスキル/著 千葉敏生/訳

この記事を書いた人

一ノ瀬翔太

-ichinose-shota-

編集者

1992年生まれ。東京大学教育学部を卒業したのち早川書房に入社し、現在ノンフィクション書籍の編集者。担当書にマイケル・ウォルフ『炎と怒り』、スティーブン・スローマンほか『知ってるつもり』、岡本裕一朗『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』、アジェイ・アグラワルほか『予測マシンの世紀』など。


・Twitter:@shotichin

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を