2019/05/17
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』光文社新書
モカ・高野真吾/著
男女差別や性暴力被害など、性にまつわる出来事や事件がSNS上で問題化・炎上する光景は、もはや日常的な風景と化している。
こうした出来事や事件に対して、ツイッター上で強い言葉を用いたツイートを繰り返しているアカウントのプロフィールを見ると、いわゆるLGBT=性的マイノリティの中でもさらに少数派とされる性的指向や属性の立場にあること(そして、自分たちに対するLGBT内やアカデミズム内での差別、社会的無理解に対して憤り、闘っていること)を表記している人が少なくない。
中には、視界に入った他者を見境なく「差別主義者」と認定して攻撃し続ける「バーサーカー状態」になっているようなアカウントもある。
LGBTの中でもさらに少数派の人たちが抱える生きづらさは理解されづらい。そもそも当事者が何に対して苦しみ、怒っているのかが分からない。「理解してほしい」と言われても、何をどう理解したらいいのか分からない。下手に共感したふりをすれば「理解が足りない」「二次利用された」と逆に攻撃される。発達障害や精神疾患、パーソナリティ障害などが絡むと、理解や支援はさらに困難になる。
生きづらさを抱えた人の中には、バーサーカーとなって他人を傷つけることで自分の痛みをごまかそうとする人もいれば、逆に自分自身を徹底的に傷つける方向に行く人もいる。自傷や他害を繰り返したのちに、菩薩のように利他的な活動に向かう人もいる。
本書の著者であるモカさんは、究極の自傷行為である自殺に失敗した後、無償のお悩み相談という利他的な活動にシフトした。
家族や支援者、行政や専門家ではなく、同じ体験をした当事者だけがアプローチできる領域は確実に存在する。本書に書かれているモカさんの体験や言葉・マンガを読んで、救われる人も多いだろう。
私の活動領域であるNPOの世界でも、代表者自身の原体験や当事者性を売りにしている団体は少なくない。LGBTをはじめ、家出少女やセックスワーカー等、一般に支援や理解、アウトリーチが難しいとされる領域で活動する団体で、特にその傾向は強い。
しかし、代表者自身の原体験や当事者性を語ること自体が活動の中心になってしまった団体の予後は決して良くない。解決すべき社会課題や支援すべき当事者を放置したまま、「当事者の代弁者」であることを刃物のように振り回して、戦う必要のない相手を敵に回して戦い続けているような団体もある。
自分も他人も傷つけない形で「当事者であり続けること」「原体験を語り続けること」は、実は精神的にも社会的にもかなり難しい仕事だと言える。
誰かを救うため、社会を変えるためには、代表者が当事者性や原体験を有しているだけでは不十分なのだ。相応の専門知識やスキル、ビジネスモデル、代表者を精神的・経済的に支えるチームや組織が必要になる。
過去の経歴や体験を公にして活動している当事者の勇気や人間性を「菩薩」や「女神」として称賛するだけでなく、その活動に伴う潜在的リスク、及びその対処法や支援策まで記すことができてはじめて、利他的な活動を安全かつ持続可能性のある形で世の中に広めることができるはずだ。
そうしたインフラが整えば、「菩薩」や「女神」が安心して活躍できる社会を実現できるのではないだろうか。
『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』光文社新書
モカ・高野真吾/著