2018/09/12
長江貴士 元書店員
『哲学的な何か、あと数学とか』二見文庫
飲茶/著
一般的に最も知られた数学理論が「フェルマーの最終定理」であるということに異議を唱える人は恐らくいないだろう。数学が嫌いだという人でも、それがどんな理論であるかはともかく、「フェルマーの最終定理」という名前ぐらいは耳にしたことがあるのではないだろうか。
というぐらい有名なこの“予想”(後で触れるが、「最終定理」という名前で広まっているこの理論は、証明される以前は当然“予想”だったのだ)は、1600年頃のフランスの法律家であるフェルマーが考えたものだ。そう、彼はプロの数学者ではなかった。フェルマーは、数学を趣味でやっていたが、その才能は抜きん出ていた。彼の死後、彼の息子が、「父ちゃんが証明したって言ってるけど証明が載ってない48の問題」を含む、フェルマーの業績をまとめた本を出版したことからすべてが始まる。
数学者たちは、彼が「証明した」と言っていることを信じた。何故なら、今まで彼が「証明した」と言った時、それはすべて真実だったからだ。
しかし、数学者たちの挑戦は困難を極めた。フェルマーが「証明したぜい」と言った定理一つを証明するのに、歴史に名を残す数学者が何年も掛かってやっと証明を見つける、という具合だったのだ。その内の一つ、「素数の定理」の場合は、1700年代最大の(そして数学史上においてもほぼトップクラスの)数学者であるオイラーが、7年も掛けて証明を見つけたのだという。フェルマー、ちょっと凄すぎじゃないか。
そんな風にして数学者たちは、フェルマーが残した48の問題を少しずつ片付けていった。そして、最後の最後に残ったのが、現在「フェルマーの最終定理」と呼ばれているものなのだ。
ここでようやく、何故この“予想”が「最終」「定理」と呼ばれているのか、が理解出来る。まず「最終」というのは、フェルマーが残した問題で最後まで残ったもの、という意味だ。そして、“予想”であるのに「定理」(「定理」というのは、既に証明されたものを呼ぶ名前だ)と名付けられているのは、「フェルマーが「証明した」って言ってたやつ、全部正しかったから、これだってきっと合ってるっしょ」という、数学者たちの気分が込められているのである。
こんな風にして、フェルマーというアマチュアにして最強の数学者が残した超絶難問が、「フェルマーの最終定理」という名前を付けられて世の挑戦者を待つことになった。しかし、やはり最後の難問は難攻不落だった。結局1995年、イギリスのワイルズという数学者によって証明がなされるまで、難問としてあり続けたのだ。
本書は、そんな「フェルマーの最終定理」に関わった者たちの奮闘の記録である。「フェルマーの最終定理」については、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)も非常に読みやすい一冊だが、本書「哲学的な何か、あと数学とか」の方がさらに圧倒的に読みやすい。どちらも文系の人にも読んでもらえる作品だが、数学が苦手だという人にまず読んでもらいたいのは本書だ。
さて、本書に描かれているエピソードはどれも魅力的なのだが、ここで取り上げるのは三つに絞ろう。「フェルマーの最終定理は何故これほど有名になったのか」「志村=谷山予想との関係」「証明者・ワイルズの苦悩」の三つだ。
まず、「フェルマーの最終定理は何故これほど有名になったのか」に触れよう。これには、ヴォルフスケールという大富豪が関係している。当時数学者の間では、「フェルマーの最終定理、やっぱ解けねぇよ」という気分が支配的だったのだが、このヴォルフスケールが雰囲気を一変させたのだ。
名家に生まれ、大学で数学を学び、その後ビジネスで成功したヴォルフスケールだったが、とある失恋をきっかけに自殺を考えるようになった。彼は、自殺する日時を決め、そこまでの準備を完璧に進めていたが、あまりに実務能力が高かったせいで数時間余ってしまった。
「暇だし、数学の本でも読むか」
そうやって開いた本が、「フェルマーの最終定理は現在の数学のテクニックでは解けない」という証明についてだった。しかし彼は、その証明の論理に穴がある可能性に気づく。その証明に穴があるとすれば、「現在の数学のテクニックで解ける」可能性が出てくるのではないか…。そんな予感に支配された彼は考えに考え続け、そのせいで自殺予定時刻を大幅に越えてしまった。死にたいという気分がなくなってしまった彼は、「ヴォルフスケール賞」というものを設立することに決め、フェルマーの最終定理を解いた者に10万マルク(現在の価値で十数億円)の賞金を与えることにしたのだ。
これに、プロの数学者だけでなく、アマチュア数学者たちも狂喜乱舞した。そうやってフェルマーの最終定理は、世界で最も有名な数学理論となったのだ。
次は、「志村=谷山予想との関係」である。フェルマーの最終定理の話には、三人の日本人の名前がよく登場する。志村五郎、谷山豊、そして岩沢健吉である。「志村=谷山予想」というのは、志村五郎と谷山豊が生み出した予想だが(ここにも色々物語はあるのだが)、これ自体は当初、フェルマーの最終定理とはまったく関係がなかった。「志村=谷山予想」については、何回色んな本を読んでも僕にはさっぱり理解できないのでここでは割愛するが、「楕円方程式」と「モジュラー形式」という二つのまったく異なる分野を結びつける予想らしい。
この「志村=谷山予想」は、数学の世界で非常に注目された。その背景は是非本書を読んで理解して欲しいが、「もし志村=谷山予想が正しければ…」から始まる無数の論文が書かれた、という事実だけを見ても、その重要度が分かるだろう。
そしてドイツで行われた何の変哲もない数学の講演会で、その事件は起こった。フライという数学者が、とんでもないことを証明したのだ(まあ、ここにも物語があるのだが、割愛)。それは、
「もし志村=谷山予想が正しかったら、フェルマーの最終定理も正しい」
というものだった。この主張に、世界中の数学者が騒然とした。どちらも難問として知られていたが、まったく無関係と思われていた二つの証明に関わりがあることが判明したのだ。
そしてその一報に、ワイルズもまた狂気した。最後の「証明者・ワイルズの苦悩」に触れるが、ワイルズは10歳の時にフェルマーの最終定理と出会い、これを証明するために数学者を目指した。しかし、世紀の難問と言われるフェルマーの最終定理は、プロの数学者が手を付けるようなものではなく、とりあえず諦めて、彼は「楕円方程式」に関係した「岩澤理論」の研究者として名を馳せることになる。この「岩澤理論」は、前述した岩澤健吉が生み出した理論である。
そんな時、ワイルズは、「楕円方程式」と関係がある「志村=谷山予想」を証明すれば、自動的に「フェルマーの最終定理」も証明したことになる、と聞いて、同じく難攻不落と言われた「志村=谷山予想」の証明に挑むことにするのだ。
色々ありながらも(ホントに色々あった)、彼はついに「フェルマーの最終定理を証明したぞ!」と発表する。
…のだが、ここからが大変だった。どう大変だったのか、というのは是非本書を読んで欲しいのだが、極限まで追い詰められた彼に最後の光を与えたのが「岩澤理論」であった、ということだけは書いておこう。
ただの数学理論と侮ってはいけない。これほど長い歴史を経て、多くの天才を巻き込みながら、人間ドラマ満載の物語はそうそうあるものではないだろう。
ちなみに、2017年、長年の未解決問題であった「ABC予想」が証明されたと大いに話題となった。京都大学の望月教授が、世界トップクラスの数学者さえほぼ理解できないという「宇宙際タイヒミュラー理論」という新たな理論をひっさげて証明したこの「ABC予想」を使えば、フェルマーの最終定理が一瞬で証明できるらしい(ワイルズのフェルマーの最終定理の証明は、200ページ以上に及ぶと言われている)。いやー、ワイルズさん、早目に証明出来て良かったですね、ホント。
『哲学的な何か、あと数学とか』二見文庫
飲茶/著