2019/06/26
藤代冥砂 写真家・作家
『THE BURNING HEAVEN』リトル・モア
井上嗣也/著
長野は広い。そして山が多いので、端々まで訪ねることは容易ではない。山岳地から盆地の平野部を擁し、北陸と接しながら関東の風も受けるような、垂直と水平への広がりは、この国でも随一ではないか。
このような地理的条件に恵まれて、海のない県ではあるが、食材の豊かさは素晴らしいものがある。
山と川の恵みは、すでに知っていたが、馬の上質も特筆すべきだろう。きっと飼い葉からして上質だからに違いない。
長野は、祖母の出た土地である。それもあって昔から、薄くない縁を感じていた。ある頃は毎夏ごとに通って、その山域の霊性に家族そろって癒されていたものだ。
今も一人でふらりと訪れては、その息吹を頭から足先まで通しては、有難い時を過ごさせていただいている。
心がすっきりすると、体もすっきりするものだ。それは食の好みまで影響するのはもちろんのことで、長野に来ると手の込んだ料理よりも、土地の滋味を素朴な形で味わいたくなるし、それが何よりものご馳走だと心から感じる。
長野には、美味しいものが十二分にあるのだが、個人的に極論すれば、蕎麦と果物があれば、大満足である。
蕎麦は、せいろが特上だと思っている。つゆでもいいし、塩でもいい。なあんにも添えず、ぞぞぞっ、ずずずっと喉を通す時のあの有難さは、大げさに言うならば、日本の美しさそのものではないか。私は頭を剃り、黒衣を着る者のように背筋を伸ばして、蕎麦を食べる。
あとは、果物だ。葡萄はいいし、桃ももちろん、そしてプルーンが大好物である。大きさ、甘さ、形、色、香り、どれもが丁度いい塩梅だ。生食は、長野以外でも可能で、沖縄にまで流通している。
だが、信州の山河を眺めながら、蕎麦を食べ、腹がこなれた後で食す生プルーンの初夏の恋のような味は、簡単には近づけないのである。
『THE BURNING HEAVEN』リトル・モア
著/井上嗣也
※表紙デザインが2種類あります。本文内容は同じです。