長野の息吹を全身に受けて知るご馳走『THE BURNING HEAVEN』

藤代冥砂 写真家・作家

『THE BURNING HEAVEN』リトル・モア
井上嗣也/著

 

長野は広い。そして山が多いので、端々まで訪ねることは容易ではない。山岳地から盆地の平野部を擁し、北陸と接しながら関東の風も受けるような、垂直と水平への広がりは、この国でも随一ではないか。

 

このような地理的条件に恵まれて、海のない県ではあるが、食材の豊かさは素晴らしいものがある。

 

山と川の恵みは、すでに知っていたが、馬の上質も特筆すべきだろう。きっと飼い葉からして上質だからに違いない。

 

長野は、祖母の出た土地である。それもあって昔から、薄くない縁を感じていた。ある頃は毎夏ごとに通って、その山域の霊性に家族そろって癒されていたものだ。

 

今も一人でふらりと訪れては、その息吹を頭から足先まで通しては、有難い時を過ごさせていただいている。

 

心がすっきりすると、体もすっきりするものだ。それは食の好みまで影響するのはもちろんのことで、長野に来ると手の込んだ料理よりも、土地の滋味を素朴な形で味わいたくなるし、それが何よりものご馳走だと心から感じる。

 

長野には、美味しいものが十二分にあるのだが、個人的に極論すれば、蕎麦と果物があれば、大満足である。

 

蕎麦は、せいろが特上だと思っている。つゆでもいいし、塩でもいい。なあんにも添えず、ぞぞぞっ、ずずずっと喉を通す時のあの有難さは、大げさに言うならば、日本の美しさそのものではないか。私は頭を剃り、黒衣を着る者のように背筋を伸ばして、蕎麦を食べる。

 

あとは、果物だ。葡萄はいいし、桃ももちろん、そしてプルーンが大好物である。大きさ、甘さ、形、色、香り、どれもが丁度いい塩梅だ。生食は、長野以外でも可能で、沖縄にまで流通している。

 

だが、信州の山河を眺めながら、蕎麦を食べ、腹がこなれた後で食す生プルーンの初夏の恋のような味は、簡単には近づけないのである。

 

「THE BURNING HEAVEN/EYE」  「THE BURNING HEAVEN/TWIN」

 

『THE BURNING HEAVEN』リトル・モア
著/井上嗣也

※表紙デザインが2種類あります。本文内容は同じです。

この記事を書いた人

藤代冥砂

-fujishiro-meisa-

写真家・作家

90年代から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以後エディトリアル、コマーシャル、アートの分野を中心として活動。主な写真集として、2年間のバックパッカー時代の世界一周旅行記『ライドライドライド』、家族との日常を綴った愛しさと切なさに満ちた『もう家に帰ろう』、南米女性を現地で30人撮り下ろした太陽の輝きを感じさせる『肉』、沖縄の神々しい光と色をスピリチュアルに切り取った『あおあお』、高層ホテルの一室にヌードで佇む女性52人を撮った都市論的な,試みでもある『sketches of tokyo』、山岳写真とヌードを対比させる構成が新奇な『山と肌』など、一昨ごとに変わる表現法をスタイルとし、それによって写真を超えていこうとする試みは、アンチスタイルな全体写真家としてユニークな位置にいる。また小説家としても知られ著作に『誰も死なない恋愛小説』『ドライブ』がある。第34回講談社出版文化賞写真賞受賞

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