「私は人間になりたいの」と、AIが喋り出した時、人間はどうしたらいいのか?『機巧のイヴ』

るな 元書店員の書評ライター

『機巧のイヴ』新潮社
乾緑郎/著

 

 

私が、この世にただ一人だけ存在していたとしたら、きっとそれは「生きている」とは言わない。自分を自分たらしめるものは、他者という存在があって初めて形を作る。

 

自分というものが一体なんであるのか、何を思い何を信じ、どういうように生きているかは、比較対象があって初めて分かるものだと思う。あの人と私は違うし、あの人と私の生き方も違う。違う事を認めていくたびに、自分が際立っていく。

 

自分とは何か。
という問いの答えは他者によって作られる、相対的な概念であるのではないかとたまに思う。
本もそうだと思う。知らなければ考えもしない。その時世界はそこで終わるけれど、本当はもっと広い。

 

人間と機械を分け隔てるものは何か。それは命の有無だ。魂があるかないかだ。
ならば機巧人形(オートマタ)伊武には魂がないか?
と問われたら、この本を読んだあとには、もうノーとは言えない。

 

魂がないのならば、自分を愛しく想ってくれたあの人が死んだ時、せめて機巧人形を作って一緒に暮らせばいいという久蔵の提案に悩むことなどないはずだ。

 

本書はSF永遠のテーマ、「どこからが人間でどこまでが機械なのか」に時代小説で挑んだものすごい作品。
江戸時代のような架空の時代天府を舞台にしたオーバーテクノロジーであるアンドロイド、機巧人形伊武(イブ)を巡る一大SF伝奇小説だ。

 

オーバーテクノロジーはオカルトでよく出てくるオーパーツみたいな感じ。その時代には作る技術がなかったはずのもののこと。

 

最近、オーパーツではないと判断された水晶ドクロ。これは現在の技術をもってしても再現が非常に難しいため、一応オーパーツ。誰がなんのために作ったかは依然不明。他、ネブラディスク、バールベックの巨石、有名なヴォイニッチ手稿……など世界にはたくさんのオーバーテクノロジーの産物があり、個人的には胸が熱くなる。

 

連作短編集のような本書、しょっぱなでぎゅっと掴まれる。
恋した遊女を身請けしたい侍が機巧人形を作るという技師を訪ねる。彼女には好きな人がいるから、自分が身請けしても幸せにはなれない。だから、そっくりな人形を作って欲しい。本物はその想い人のところへ遣って幸せになって欲しいから、と。
果たして人形は出来上がるが、ある日…。という話。

 

短い中での起承転結の転の鮮やかさ、天晴れ!
物語は加速していき、片腕を義体化した相撲取り、女忍者や殺戮機巧人形まで出てきてドキドキでハラハラの時代活劇のようだった。
著者、忍者ものが得意なよう。そりゃ面白いわ。

 

AIには学習能力がある。2045年にはシンギュラリティ(技術的特異点)がやってくると言われている。
人工知能が人間を超える瞬間。レイ・カーツワイル氏の理論は最初はただのSF好きやギークマニアのネタだったがGoogleは真剣にAI開発に力を入れている。奴らは本気だ。

 

繰り返しになるが、AIには学習能力がある。
昔は人間がインプットして行われた作業をGoogleはニューラルネットワークという自習するプログラムを開発して、AIにディープラーニング(そういう学習の総称)を進めている。

 

シンギュラリティがぐっと現実のものとなる可能性が高くなった。あと30年以内に伊武が量産されるかもしれない。

 

「私は人間になりたいの」と、AIが喋り出した時、人間はどうしたらいいか。
AIが人間と関わる事で自我を持ったら?
一人でどんどん学習していったら?

 

ディープラーニングで驚異的に学習したAIに人間は恐らく勝てない。
SF小説は今この瞬間起きている事も書く。何十年も前から今より遥か先の事も書く。縦横無尽、全方位的。

 

SF小説世界がいよいよ現実になる勢い。それでもAIには人間が教えるものでいて欲しい。
秩序みたいなものが瓦解する気がする。古臭い人間です私は。

 

世界が変わっていった時、私も生きていくために変化せざるを得ないけれど、そういう古臭さは、忘れちゃいけないと思うんです。

 

『機巧のイヴ』新潮社
乾緑郎/著

この記事を書いた人

るな

-runa-

元書店員の書評ライター

関西圏在住。銀行員から塾講師、書店員を経て広報とウェブライター。得意なのは泣ける書籍紹介。三度の飯のうち二度までは本!

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