2019/03/18
るな 元書店員の書評ライター
『時砂の王』早川書房
小川一水/著
遥か彼方、太古の昔より人々は剣を持ち戦ってきた。
ある者は愛する人を守るため、ある者は国の未来のため。
そうやって、彼らは今私が踏みしめるこの世界を守ってきた。例え自分が其処に居なくとも。
私はSFが好きだ。
こんなにも前を向いて、空を見上げる物語はないと思っているから。
SFは夢物語ではない。今いる世界、今立っている道の先にいつもある。
SF作家は半世紀も前からその来るべき未来を想像し、シミュレートしてきた。
アイザック・アシモフ は1950年、自著にて人工知能と人が共生するため、21世紀には彼らに対して「人間への安全性」「命令への服従」「自己防衛」というロボット三原則が必要だと書いた(当時まだ人工知能という言葉はなかった)。
そしてその21世紀の今、人間は自らの手で作り出した人工知能により、ものの価値観とは、言葉とは、見るとは、考えるとは、コミュニケーションとは何かを問われ、彼らと人間を分かつための存在理由と根源を追求しなければならなくなった。
半世紀前の小説のシミュレートを、真面目に検証する機関さえあるのだ。
しかし、今のところ彼らには「知能」と名は付いているが、意味は少し違う。
例えばりんごを認識するために、りんごではないものの多量の情報を集めて認識している。
それはまだ「知性」ではなく「情報」だ。
この「情報が知性に変わった」時、人類史はその姿を大きく変えると思っている。
今回読んだ『時砂の王』 は22世紀のアシモフになり得るかもしれないと思う。
タイムパラドックスSF。
これは、例えば今いる世界を「A」として、そこに危機が訪れている時、「時間遡行者=タイムトラベラー」 が「A」の過去「B」へ、危機の元を取り除くために行くとする。その時点で過去は改変され、来るべき「A」は消滅し、同時に改変された「A’」が発生する。
そうやって過去へ行き干渉するたびに、たくさんの世界線ができる。
この理論で書かれている小説を含む、いわゆる時間モノのSFが、タイムパラドックスSFである。
『時砂の王』の世界では、26世紀の地球人はETと呼ばれる地球外侵略者(The Evil Thing.Enemy of Terra、Extra Terrestrial)によって滅ぼされかけている。
それを食い止めるために人類は”知性を持った”AIを作り出す。
名称はメッセンジャー。彼らの任務は人類を守ること。
主人公のオーヴィルはこのメッセンジャーの基となったオリジナルの存在だ。
彼は人類を守るために、ETとの戦いで滅ぶはずの世界の線を守るために過去へ飛ぶ。
だが、メッセンジャーは世界「A」ができる過程で生まれているから、過去改変によって存在が消滅する危険がある。
そして、世界「A」にいる彼が愛する人サヤカも、世界Aが消滅するならば、それはつまり死ぬことを意味する。
オーヴィルが降り立った地は西暦248年、邪馬台国。
そこで出会った女性が邪馬台国の女王、親魏倭王卑弥呼だった。
ここで人類を守りきれば、人類は滅亡しない。我々の勝利だ。
個を犠牲にして集団を守る卑弥呼と、もはや守るもののないオーヴィル。
なぜ戦うのか、なぜ守るのか、歴史とは何か。なぜ自分は存在しているのかと問い続けて、なにかを守り続けてきた2人は、その皮肉なパラドックスの中で出会う。
過去に介入しすぎた結果、生まれるはずのないものが生まれ、生まれるべき人が生まれない。守りたかった未来はもはや全くの別物となってしまった。
しかし、ただ、「人類がETに勝利する」という歴史を作るためだけに彼らは戦う。
その他の全ての滅ぶたくさんの世界線と、その歴史と人間を見捨てて。
古代日本のタイムパラドックスSFにして、人類と知性体のファーストコンタクトSF。
人類進化と並行進化にも触れる壮大な人類叙事詩。
短い物語の中に、これだけの要素がまとまっているのには驚いた。
私が生きる世界は、彼らが救った世界線。私たちはそれらの思いの先に生まれたんだ。
読後は思わず顔を上げて、思いを馳せた。
今、彼らが守り通したかつての邪馬台の国は、桜の季節を迎えようとしている。
私にとって桜は惜別の花。
散りゆく花びらすべてが、膨大な時間の中に散ったもう二度と会えない命に見えた
SFでこんなに感動するとは思わなかった!素晴らしい本でした。
『時砂の王』早川書房
小川一水/著