「科学の実験なんかに意味があるのか?」に対する最高の回答がここに 『すごい実験』

長江貴士 元書店員

『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』イースト・プレス
多田将/著

 

 

本書は、素粒子物理学やその実験施設について、高校生向けに行われた講演をベースに書籍化されたものだ。その辺りの話は、後でちゃんとする。しかしまずは、本筋とはまったく関係ないのだが、本書の記述の中で、より多くの人に知られるべきと僕が感じる話から始めよう。

 

それは、「科学の実験なんかにどんな意味があるのか?」という問いに対する答えである。

 

本書で扱われるニュートリノの実験には、多額の費用が掛かる。そんな莫大なお金をつぎ込んで実験をしていると知れば、こう聞きたくなるだろう。「ニュートリノにはどんな利用法があるんですか?」と。実際に高校生たちも著者にそう質問している。

 

それに対して著者は、「何も思いつかない」と返答した後で、携帯電話の話をする。

 

【ところが、この携帯電話に使われている技術っていうのは、「携帯電話を作ろう!」と思って開発されたものなんてほとんどないんです。まったく別の意図で開発されたさまざまな技術を結集して、この携帯電話は作られているんですね】

 

【「携帯電話を開発しましょうか」って言って、1から開発してると100年経っても絶対にできません。科学技術の世界は、そういうものなんです】

 

この記述が、本書の中で最も伝えるべき価値のあるものだと僕は感じた。

 

本書に書かれている話ではないが、科学の世界では昔より予算を取るのが難しくなっているらしい。iPS細胞やAIなど、ビジネスにすぐに結びつきそうな研究については、国からだけではなく様々な企業からお金を得ることが出来る。しかし科学研究はそういうものばかりではない。というか大半が、それを研究してどうなるのか分からないようなものばかりだ。

 

しかし、科学の予算を取るためには、「この研究をするとこういう良いことがあります」という書類を出さないといけないようだ。これは基本的な発想が間違っていて、どういう結果が出るか分からないから研究するのだが、予算を取る時には、さも結果が分かっているかのように振る舞わなければならないのである。だから益々、実益に結びつかなそうな基礎研究にお金が回らなくなる。ノーベル賞を受賞した本庶佑氏も、応用ではなく、基礎研究にもっと多額の研究費用を投資するべきだ、と会見で主張していた。今日本人でノーベル賞を受賞している人たちは、まだ基礎研究にお金が回っていた時代の研究成果が評価されているのだ。このまま基礎研究にお金が回らなければ、日本はいずれノーベル賞を受賞できなくなるだろう、とも危惧されている。

 

本書で著者は、「研究すること」を「東急ハンズの棚に商品を並べること」に喩えている。

 

【実はね、科学の世界もこれと同じなんですよ。東急ハンズみたいなものです。
科学の世界っていうのは、まずいきなり、この携帯電話を作ろうと思って、その技術を開発しようとしても無理なんです。非常に複雑な機械ですからね。だからまずは各々の学者なり技術者が自分の専門の何かを研究します。そして、「それが何の役に立つか?」は、とりあえず置いておいて、その研究成果を発表するわけです。この「研究成果を発表する」ということが、すなわち、「ハンズの棚に商品を並べること」なんです。いろんな学者が、棚にどんどん並べていくわけです
そしたら、次の世代の学者がハンズにやって来て、棚を見て、自分の役に立つものをピックアップしていきます。そうして作り上げたもの―それがこの携帯電話なんです。そうしないとできないんですよ、これは】

 

この説明はまさに、「科学の実験なんかにどんな意味があるのか?」に対する実に見事な説明だと僕は感じる。著者がニュートリノ研究に使っている「J-PARC」という加速器は、総工費1500億円、年間の電気代が50億円という莫大なお金が掛かる。そしてそれを使って研究しているものが、ニュートリノなどという、現時点では使い道のさっぱり分からない代物だ。しかしそれでも、ニュートリノの研究をする価値がある、ということが、この東急ハンズの喩えから伝わるのではないかなと思う。

 

さてそれではもう少しちゃんと、本書の本筋の内容について説明していこうと思う。

 

先程も触れたように、本書は、実験家である著者が、高校生向けに行った全4回の講演がベースになっている。講演の最初の方は、素粒子物理学などという馴染みの薄いジャンルに興味を持ってもらえるように、「毒入りカレー事件の林眞須美を犯人と特定した加速器の話」とか「ガンダムのビームライフルとの比較」のようなライトな話がたくさん出てくるが、次第に、素粒子物理学の基本中の基本である「標準模型」の話に移っていく。

 

この「標準模型」、基本的にはメチャクチャ難しい。僕は興味があって、そういう本を結構読んでいるが、なかなかスパッとは理解できない。そしてそれは著者も同じだったようだ。

 

【でも、読者の方々にお聞きしてみたいのは、
「本当にそれらの本を読んで理解できましたか?」
ということです。自慢ではありませんが、僕自身、不真面目で頭の悪い高校生だったころ、その手の解説書で最後まで読み通せたものは1冊もありませんでした。
なぜ読破できなかったのか?理由が大人になってわかりました。
その先生方は頭が良すぎたのです。
(中略)
僕の強みは、多くの皆さんと同じように「物理の本を読んでも、よくわからなかった」という、偉い先生方はたぶんしていないであろう経験をしていることです】

 

そんな、説明を聞いてただ理解するだけでも超難しい「標準模型」を、著者はこれでもかというくらい分かりやすく説明していく。その詳細については、この感想では触れない。「標準模型」を短く簡単に説明することなど不可能だからだ。それは是非本書を読んでほしい。間違いなく、これまで僕が読んできた素粒子物理学の本の中で、圧倒的に読みやすい本であることは間違いない。

 

さて最後に、著者の実験テーマであるニュートリノについて、非常に面白い話が載っていたのでそれを紹介しよう。

 

ニュートリノが世間で一躍話題になったのは、カミオカンデという実験施設において世界で初めてニュートリノを観測した小柴昌俊氏のノーベル賞受賞のニュースの時だろう。このカミオカンデ、実はニュートリノを観測するために作られたものではない、という話が載っていて驚いた。

 

元々カミオカンデは、「陽子崩壊」という現象を捉えるために作られたという。理論家の計算によると、3000トンぐらい水があれば、1日に1個ぐらいは陽子が崩壊する様を観測出来るだろう、ということだったのだが、待てど暮らせど陽子崩壊はまったく起こらない。それもそのはず、どうやら理論家が計算をミスっていたようで、3000トンでは全然足りないということになった。

 

これは困った。しかし困っていても何も進まないから、カミオカンデを使った新しい実験を模索しようと思っているまさにその時、カミオカンデはとんでもない現象を捉えた。それが「超新星爆発」であり、「超新星爆発」によって発生した大量の「ニュートリノ」だったのだ。これは、人類史上初めて「光以外の方法で天体を観測した」という事例であり、世界中が仰天したのだ。こうして世界で初めて「ニュートリノ」が観測された。

 

物理の世界にも、無味乾燥な理論だけではなく、こういう人間臭いエピソードはたくさんあるし、また無味乾燥に見える理論すらも、説明する人次第では生き生きとしてくる、ということが、本書を読めば強く実感できるのではないかと思う。

 

『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』イースト・プレス
多田将/著

この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

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