犬に人間の脳と睾丸を移植してみたら、どうなるか…?ロシア文学史上に残る「怪作」

るな 元書店員の書評ライター

『犬の心臓・運命の卵』新潮社
ブルガーコフ/著

 

 

ロシア文学がなぜ、あんなにシニカルで暗くて重くてややこしいのかはそれらの背景にあるロシアの歴史に答えがある。
と少し調べてみて、その端っこの端っこをすこーしだけ摘んだ気がしていた。
政治、哲学、宗教のすべての主義主張を、かつてのロシア文学作家たちは文学に込めて声高に叫んでいた。

 

一昨目の『犬の心臓』。
ある野良犬がいて、そこに紳士が現れる。
彼は犬に良い食事を与えて正常な状態に戻す。
かくして犬は元気になったが、なぜそんなことをしたのかというと、実はある実験のためだった。それは、犬に人間の脳下垂体と睾丸を移植したらどうなるかしら?

 

なんだそれ。

 

「芸術は爆発だ!」と岡本太郎は言ったが、多分この文学も爆発したんだろう。
しかし、ただの奇抜な小説でなく、やはりロシア文学はその後ろに暗くて重い歴史を背負っている。この小説もそうだった。

 

野良犬のコロに移植されたのが、前科ニ犯の犯罪者の脳下垂体と睾丸。
この行為がロシア革命を指す。
コロの容姿の描写がかなり気持ち悪く書かれているが、おそらくわざとだ。
コロはコロフと名前を変えて、どんどん下品で狡猾でどうしようもない、人とは呼べないモノになっていく。人権を主張し、牙を向く。ここが革命で権力を得たプロレタリアートの批判。ラストはぜひ読んで欲しい。

 

もう一つの短編、『運命の卵』は、動物学者が生命体の生命活動を増殖させる赤い光線を発見する。それは、卵に赤い光線を浴びせて孵化させると、その生命体が急成長したり巨大化したりするものだった。そして巨大化した生命体から人間たちが逃げ惑うという、ちょっとしたアニマルパニックホラーSFみたいな感じ。
文学はここでも爆発している。
ついでに私のロシア文学のイメージも爆発した。この小説、SFか…!

 

現代文学なら、素晴らしいSFだね。で、片付けられるこの二つの物語。
しかし時はスターリン制圧下のソビエト連邦。この作品だけ読めば読者はわかる。著者のブルガーコフは反ソ連主義者だ!

 

実際その作品はほぼ発禁処分を食らっていたが、ペレストロイカで徐々に再翻訳や出版がされ、再評価されている最中だ。それにしても、当時の情勢を考えると暗殺されてもおかしくないほど強烈に批判していて、ちょっと胡散臭い。
調べると、ブルガーコフはスターリンのお気に入り作家だったようなのだ。
なんでも、出版禁止命令が出て職を追われた彼に、劇場での仕事を許可したのはなんとあのスターリン自身だったそうだ。ご本人から直接電話がかかってきたらしい。電話に出たらスターリン……怖い。笑
その後も、スターリンは彼の作品を観に何度も劇場に通っていた。
ブルガーコフは『巨匠とマルガリータ』という作品で、ソ連より悪魔の方がマシとまで言っちゃっているのに、だ。

 

ブルガーコフは私の好きなガブリエル・ガルシア=マルケスが師と仰いだ作家でもある。
1920年代の恐怖政治の中で書いた勇気と、それを一部認めていたスターリンの人間らしさ、
21世紀になって発禁処分の本が自由に読める幸せを噛み締めながら、書き言葉と話し言葉が違っていたロシア語翻訳に5年も費やした翻訳者にも感謝して読了。
ロシア文学が私の中で熱い。

 

『犬の心臓・運命の卵』新潮社
ブルガーコフ/著

この記事を書いた人

るな

-runa-

元書店員の書評ライター

関西圏在住。銀行員から塾講師、書店員を経て広報とウェブライター。得意なのは泣ける書籍紹介。三度の飯のうち二度までは本!

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