天文学の世界を旅するように読む、大人のための『銀河鉄道の夜』

馬場紀衣 文筆家・ライター

『天文学者が解説する宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』光文社
谷口義明/著

 

 

1896(明治29)年、岩手県稗貫郡里川口村(現在の花巻市)で質・呉服商の家に生まれた宮沢賢治は、父が浄土真宗の熱心な信者だったこともあり、裕福な仏教の香り高い家で育った。やがて賢治は石川啄木の影響を受けて短歌を詠むようになり、詩・童話・歌曲など、37歳という短い生涯のあいだに膨大な量の作品を世に送り出す。自然から放たれた光や周りの出来事を、研ぎ澄まされた霊感で受け止めて書き写した賢治の作品を著者は「心象スケッチ」のようだと述べる。

 

自宅の書斎に『銀河鉄道の夜』を3冊も並べているという著者の職業は天文学者。宮沢賢治を専門に研究する学者ではないが、『銀河鉄道の夜』を語るのにこれほどふさわしい人物はいないだろう。著者は『銀河鉄道の夜』をテーマに、このユニークな童話がどのように構想されたのか、天文学者ならではの視点で賢治の宇宙観に迫る。

 

そもそも、賢治の生まれた時代の天文学と物理学は、今よりもずっと素朴で単純なものだった。星がなぜ光るのか、そのエネルギー源が解明されていなかった当時、夜空に見える天の川こそが「宇宙のすべて」だと思われていたのだ。賢治が生まれた時代の宇宙観では「天の川=宇宙」だった。

 

米国の天文学者エドウィン・ハッブル(1889-1953)が、宇宙には天の川と同じような銀河がたくさんあることを見つけたのは1925年。賢治が29歳の頃だ。ハッブルはそれまで天の川の中にあると考えられていたアンドロメダ星雲が、銀河系とは独立した一つの銀河であることを発見した。これにより、天の川は宇宙の全てではなくなる。その後、人類の宇宙観は一気にひろがり、1936年には、銀河の分類体系が構築された。

 

ところで賢治は1933年に亡くなっている。つまり、賢治は銀河の多様な世界を知ることなく、あの見事な宇宙世界を『銀河鉄道の夜』で描いてみせたのだ。

 

『銀河鉄道の夜』には、星を描写する耳慣れない言葉がいくつも出てくる。「双子のお星さまのお宮」「青い琴の星」「天気輪」……宮沢賢治の創作した言葉から想像力を膨らませるのも楽しいが、本書の試みはもっと「大人」だ。

 

著者は、銀河鉄道の旅の終わりに近づいて見えてきた「双子のお星さまのお宮」を次のように推測する。夜空に見える双子といえば、ふたご座を思い浮かべるが、これは冬に見える星。銀河鉄道が走っているのは、冬の夜空ではなく夏の夜空だ。とすると、「双子のお星さまのお宮」はふたご座ではない。

 

双子のお星さまの候補はいくつかあるが、そのうちの一つがさそり座。さそり座のλ星とυ星は物理的な連星ではないが、二重星として見えるらしい。この星、日本では「おとどい星」という名前でも知られているとか。「おとどい」とは、愛媛県の方言で兄妹や姉妹のこと。

 

じつは賢治には2つ年下の妹、トシがいた。彼女は賢治の最大の理解者だったが、病のため24歳の若さで亡くなっている。著者は、トシのことをとても大切に思っていた賢治が「おとどい星」に特別な思いを込めたのでないかと考察する。

 

天文学者である著者はさらに、ジョバンニが見たとする三つにも四つにもなって、ちらちら輝く「青い琴の星」が、こと座のαヴェガであることや、賢治の作り出した「天気輪」という言葉を賢治の詩をヒントに「対日照」だと推測してみたりする。

 

子ども時代に頭のなかで繰り広げられた銀河鉄道の物語が、現実世界とつながっていく感覚が面白い。まるで銀河鉄道に乗車した気分で、椅子にゆったり腰をかけて、天文学の世界を旅するように読める本書は、大人の読む『銀河鉄道の夜』として最適だ。

 

『天文学者が解説する宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』光文社
谷口義明/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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