2020/10/09
馬場紀衣 文筆家・ライター
『女装する女』新潮社
湯山玲子/著
タイトルにある「女装」とはその言葉通り、「女」を「装う」の意味である。装飾的なハイヒール、ヌーブラをつけてのドレス、セクシーと女らしさをフル装備したファッション。ほぼユニセックスな会社のスーツやカジュアルウェアを脱ぎ捨てて、女っぷりの増したフェミニンな雰囲気を漂わせることを総じて女装と呼んでいる。著者はそこに、女性が本来持っている潜在的・本能的な欲求を見いだし、現代に生きる女性の欲望の在り方を消費の面から読み解いていく。
女性が男性化している、と言われるようになって久しい。企業の中核に入り、責任を持ち、ハードな仕事に従事するようになった女性たちは、過酷な現実を生き抜くためにあらゆる文化的コードを自分の中に打ち立ててきた。しかし「『自由』であることの快楽を知ってしまった女性はもう、後戻りはしない」のだ。今やイブは食べてしまったリンゴをアップルパイやりんごゼリーまでバラエティー豊かに料理しまくっている。これからの未来は「その事実を厳粛に受けとめ、女性ひとりひとりがそこにフィットした未来と社会をつくっていく」しかないのだと著者は指摘する。
本書の読みどころは、著者自身が女性が男性化していると思っていないという点にある。むしろ両者の差が男性側から積極的に縮められているというのだ。対話と協調が重視され、力強さより優しさ、男性モードから女性モードへと時代が完全に移行した時代では、男性は家事もこなすし、自分磨きに余念もない。女性の領分に嬉々として進出してきている。それだけに女性の変化が際立って見えてくる。
しかし、これさえも「高度消費情報社会の状況下では、女性を女性たらしめていたいろんな幻想の鎧がひとつひとつ外されていくわけで、外された後にむき出しになった本体そのものは実は思ったよりもたくましく、自由で、とんでもない個性と欲望が普通に存在した」だけに過ぎない。するとそのことに怖気ついてしまった社会のために、女性たちは「あらためて、鎧を付け直す、というような面倒くさい行為にも手を染めている」らしいのだ。
もちろん、そうした行為には楽しさもある。ドレスアップをするのは気分があがるし、完璧なネイルは自信を与えてくれる。とは言え、彼女たちの「女装」は、女性の体に優しく心地よくフィットしたものばかりではない。極めて遊戯的なデザインも多いのだ。その奔放なイメージを現実化するためには、ある種肉体的なコントロールも含めた過酷さと努力がいるわけで、それは「ダンディズムに通じるモラル性」すら感じさせる。これではまるで「自分の身体で遊んでいるという雰囲気」ようにも見えるという指摘には、昨今の女性たちの筋トレブームを思い出させるものがある。
そして本書を読んでなによりも印象的なのは、そうして非の打ちどころのないようなスーパーカーぶりを見せる「女装」した女性たちを運転しようとする男性が、減少傾向にあるということだ。そう、女性と男性どちらの欲望を満たせるほど人間心理はそんなに効率的ではないらしい。
今から12年前に書かれた本なので、取り上げられるドラマや雑誌に懐かしさを感じつつ、今や「男性も女性も『女』をめざす時代」という著者の指摘の鋭さには驚かされる。
『女装する女』新潮社
湯山玲子/著