2020/10/15
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『滅びの前のシャングリラ』中央公論新社
凪良ゆう/著
予言の書かと思った。
一か月後に小惑星が衝突して、地球が滅亡する。様々な憶測や観測的希望が飛び交っているが、生き残れる人はおそらくいない。人生を存分に味わい何不自由なく暮らしている人も、夢も希望もなく人生を投げうっている人も、どんな人の上にも平等に「死」が降りかかってくる。なんの予兆も余地もなく、全ての人類が余命宣告をされてしまったのだ。
物語は4人の視点を軸に進んでいく。
17歳の江那友樹は広島に住む高校生で、地味でぽっちゃりしていて、クラスメイトにパシリに使われる教室内カーストの最下層に属する少年。昔、少々やんちゃだったらしい母親と二人暮らしで、父親は亡くなっていると幼い頃に聞いたきりだ。背が高くて頭も良くて品も良くて、完璧な父親だったらしいが、残念ながら確かめる術はない。
友樹には、小学生の頃から憧れている雪絵という女の子がいる。凍えそうに寒かったあの日「東京に行きたい」と泣いていた雪絵の願いを叶えると、幼い友樹は決意したのだ。いつもとは全く違う、脆くて崩れそうな彼女の泣き顔を見て、守ってあげたいと思った。けれど彼女とはそれ以降、言葉を交わしたことはない。そもそも、子どもの頃から彼女とは住む世界が違っていた。今でも、手の届かなさすぎる高嶺の花だ。それでも、彼女を見つめることをやめられない。友達はいない、憧れの人とは言葉も交わせない、母親との生活は決して豊かなものではない。友樹が「地球滅亡」の呪詛をつぶやくには、条件が揃いすぎていた。
40歳の目力信士は、何かにつけ手が出てしまう質で、悪い仲間とつるむようになるのは自然の流れだった。ヤクザの世界で生きることを夢見ていたこともあった。しかし、自身の暴力沙汰によってその道は閉ざされ、今は何かと信士を気にかけてくれる兄貴分に紹介してもらったバカラ屋の仕事で日々をこなしている。特定の相手はおらずキャバクラの女を適当に連れ帰る信士だが、心臓のちょうど真上、左胸に若い頃付き合っていた女の名前が彫られている。切れ長の瞳を持つさっぱりした性格の、いい女だった。あいつさえいれば何もいらなかった。
信士は岐路に立っていた。兄貴分から対立する組の頭を殺してくれともちかけられていた。今まで何だってやってきたが、人の命を奪ったことはもちろんない。けれど、大きく武骨な手のひらの中に、大切なものは何も残っていないと分かっていた。
40歳の江那静香は友樹の母親で、信士のかつての交際相手だ。静香と信士は似た者同士だった。二人は子どもの頃、親からの理不尽な暴力にさらされていた。居場所を求め悪い仲間とつるんでいた10代の頃、信士と出会った。当時、静香には付き合っている不良仲間がいた。でも、数年後に信士と再会したとき、逃れられない運命を感じた。
あっという間に二人は共に暮らすようになった。地球最後の日には、互いの傍にいるなどと、甘い言葉を交わし合ったこともある。けれど、二人には暴力の芽がしっかりと植え付けられていた。信士の暴力は日に日にひどくなっていった。そして、ある事実に気づいた静香は、死に物狂いで信士から逃げるという過酷な道を選んだ。それきり、二人は会っていなかった。
29歳の山田路子は今をときめく歌姫“Loco”だ。山田路子という生まれ育った名前も、「あたし」というパーソナリティもLocoになるために、全部捨てた。
大阪時代のアマチュアバンドのボーカルだった「あたし」。芸能事務所のスカウトの目に留まり、バンドから一人デビューしたアイドル時代の「あたし」。そして、大物音楽プロデューサーに見初められ、瞬く間に時代のカリスマになった“Loco”である「私」。
あまりにも強烈な光に照らされ、「あたし」であった山田路子は掻き消され、死んでしまった。そうしないと生きていけない世界に、気づけば身を投じていた。美しくあるためには食べ物など必要ない。銀色の小さなスプーンは、食事を吐き出すためのお守りになった。からっぽの身体と心を抱え、偽物の私を演じる。戻りたくても帰りたくても、還れる場所などどこにもない。そして、時代の流れに押しだされるように転落をたどり始めた私は、恋人でありプロデューサーであった彼に手をかけてしまった。
〈地球滅亡〉の宣告は、4人の運命を大きく歪ませ、次第に絡ませ合っていく。
Locoのライブに参加すると譲らない雪絵と、あの日の約束を今こそ果たさんとする友樹は、広島から東京を目指し始める。友樹を案じる静香のもとに、なぜか玄関をけ破って入ってきた信士。二人は、友樹を追って東へと急ぐ。路子はLocoという名前、築き上げてきた全てを捨てて、生まれ育った大阪へ向かう。
友樹と雪絵、そして静香と信士が東京を目指す道中、目にしたのは変り果てた街と、理性を失った人々の姿だった。あちこちから火の手が上がり、店は襲撃され、人も容赦なく襲われる。鉄道も車も思うように動かず、駅に溢れる人々や、辺りを赤く染めるブレーキランプが混乱を物語る。より狂気を増すオカルト宗教を信仰する人々による集団テロ。そこら中に転がる死体、配信される自殺の実況中継。強盗、放火、強姦、殺人が当たり前になった世界。
しかし世界が破滅に向かう一方、主人公たちの足が止まることはない。「明日死ねたら楽なのに」そう思いながら、灰色の世界で生きていたのがほんの数日前だというのが嘘のように。
私で、生きたい。私のまま、果てたい。
あなたと、生きたい。そして、あなたと死にたい。
望んでいたのは、たったこれだけのことだった。ずいぶん遠回りをしてしまった。決してこの手には掴めないと諦めていたことだった。死の直前に気づくなんて遅すぎると笑われるかもしれない。
地球滅亡がいよいよ迫る。こんな世界で、破滅を目前にして生まれる音がある。空気を切り裂くような合図とともに、魂の叫びが歌声となって地上に降り注ぐ。その声を聴く人びとは、友樹や雪絵、静香と信士は何を思うだろう?過去の様々な思い出だろうか?それとも、もう幾分も残っていない、今から連なる未来への希望だろうか?そうであるならば、こんなにも“希望”に満ちたことはない。
こんな未来が本当に訪れるかもしれない。地球の破滅、人類の滅亡。たった一年前とは様変わりしてしまった世界に生きる私たちは、何が起きたって驚かないくらいの衝撃をすでに経験している。でも実際、「地球滅亡」が目の前に差し出されたなら、恐れおののき絶望してしまうのだろう。主人公たちのように強く、逞しく最期まで戦えるかどうかの自信が私にはまるでない。
それでも。これから先、何が起こるか分からない未来を、信じてみてもいいんじゃないかと思う。それはただの楽観的な考えでもなく、諦念ゆえの静かな悟りでもなく、暗闇の中からしか辿り着けない希望を、物語の中に感じたからだ。
未来の方向にかすかに、でも確かに輝くひかり。それは、最期まで“私たち”の心を震わせ、体を躍動させる原動力となる。本当に必要なものはそんなに多くはない。手のひらに乗るくらいのささやかな希望、そしてひとかけらの愛だけだ。
思い出したなら、再びこの手に取り戻したのなら、どこまででも進んでいける。それが世界の果てであったとしても、命の果てだとしても。
最強の武器を手にした私たちは、どこまでも進んでいける。
『滅びの前のシャングリラ』中央公論新社
凪良ゆう/著