2020/11/18
金杉由美 図書室司書
『類』集英社
朝井まかて/著
文京区の千駄木に森鴎外記念館がある。
鴎外が住んでいた屋敷、観潮楼の跡地だ。観潮楼が失火で焼け落ちたのち、記念館が建つまでは公園として使用されていたが、その片隅に「千朶書房」という小さな本屋があった。
その本屋の主が鴎外の息子、森類だった。
姉の茉莉と杏奴は父親譲りの文才で知られ、それぞれの作品で名を残している。
異母兄の於菟は父と同じ医学の道に進み、大学医学部教授を歴任している。
そして、末っ子の類。
子供のころから勉強が苦手で喧嘩も苦手。個性の際立つ姉たちの後をついてまわるうちに、いつのまにか外見だけは立派な一人前の男のようになった。画家を目指したけれどモノにならず、ならばと作家を志望しても芽が出ず、七光りを駆使しても大成しなかった。
一言でいえば、残念な男。
本書では、そんな自他ともに認める「不肖の息子」の生涯が描かれる。
類の目からみた鴎外は、理想の父。
威厳に満ちて頼もしく家族を守る一家の長。
作家としても軍医としても頂点に上り詰めた才人。
どんなことにも手を抜かず力を尽くして生きた男。
書いて書いて書きまくり、バリバリと仕事をこなし、病を得ても亡くなる一ヶ月前まで働き続けて「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」と遺言をのこした島根出身の偉人。
まるで超人。そりゃあ没後に千駄木と島根に記念館がたつのも当然だ。
父に愛され庇護のもとで育ち、その死後も遺産で悠々自適に暮らしてきた類。
しかし戦争のために資産の大半が消え、気がつけば類は、妻子を抱えているくせに一度も職についたことがなく絵筆より重いものはもったこともない、世間知らずの貧乏人となっていた。
姉の茉莉も夢見る変人で贅沢貧乏を自称していたけれど、それでも自分の食い扶持くらいは筆で稼いでくる。類は稼げないくせに息を吸うように贅沢をして自分自身の身の周りの世話は一切できない筋金入りのお坊ちゃん。うーん、凄い。森茉莉より上がいたなんて。
実家の跡地に開いた本屋で慣れない商売に手を染めた類だったが、芸術の世界で認められたいという夢を諦めきれない。
そして文筆で身を立てようと書いたエッセイで森家の内情をあまりにも赤裸々に暴き、姉たちの不興を買ってしまう。何をやっても裏目に出る人生なのだ。ああ、残念。
偉大な父と比べてあまりにも非力で、何事も成さないままに父よりも遥かに長い生涯を送った不肖の息子。
希望と喜びに満ちた優雅な青年期と、挫折とやり場のない憤りの中での後半生との対比が、鮮やかで切ない。
「類」は、虚しく静かな哀しみが香気のように漂う物語だ。
そう思いながら読みすすめ、最終章で印象が反転した。
ちょっと呆然としながら本を閉じ、美しい装丁をあらためて眺めて、腑に落ちた。
「類」は、虚しく静かな哀しみにも打ち消されない、無邪気で綺麗な物語なのだ。
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