寝る前にはこの本の一編を『木曜日にはココアを』

吉村博光 HONZレビュアー

木曜日にはココアを』宝島社
青山美智子/著

 

 

生き方とは、自分の内側から立ち上がってくるものだ。大学卒業後、シドニーの日経新聞社で勤務。その後上京し、雑誌編集者を経て、執筆活動に入ったという著者の経歴を読むと、やはり「書く人なんだなぁ」と感じる。

 

本書は、桜並木のそばに佇む一軒のカフェで出された、一杯のココアから始まる短編小説集だ。掌編は、モチーフによって12色の色がついている。舞台は、東京とシドニー、そして少し京都も含まれている。

 

それぞれの登場人物が少しずつつながっていて、前の掌編に出てきた「この人をもっと深く知りたいな」と思うと、その人にまつわる話が深堀されている。読者の気持ちに寄り添った、とても読み心地の良い小説だ。

 

彩りも豊かで全体も調和がとれていて、著者からのメッセージもしっかりと伝わってくる。当たり前だけど、これはプロの仕業だな、と思って著者の経歴を読むと腑に落ちるのだ。登場人物がそうであるように、生まれついての〇〇なのである。

 

私が中学高校生活を送ったのは80年代後半の東京だ。なぜ勉強して良い学校に行かなければいけないのだろう、といつも不思議に思っていた。そんな疑問を持てたのも、両親が私を縛り付けることをしなかったからだ。

 

ただ、私は生きてゆく選択肢を増やすために勉強し、その中で自分好みのものを選び取って生きてきたような気がする。その生き方は内側から立ち上がってきたものではなく、外側から与えられたものだった。

 

マーブルカフェに勤める「僕」は、小さな男の子への何気ない一言によって、一人のお客さんを「ひとこえぼれ」させ「本物だ」と言わしめるほどの生まれついてのカフェ店員だ。自称「見る目はある」この店のマスターに、一目で採用された人物である。

 

「僕」とマスターの名前は、最後まで出てこない。マスターは、相手の内側から立ち上がっている本物を見つけ、引き出す人物である。マスターに救われた人物(掬われた才能)が、本書には複数でてくる。「僕」もそのひとりだ。

 

これからの時代も、勉強してその結果与えられた中から、自分にふさわしい選択肢を選んで生きていくシステムが存在し続けるだろう。しかし、マスターのような人やシステムが増えてきて、本物になれる人は増えてきているように感じる。

 

私はいま、25年も働いた会社を辞めて、新しいことを始めようとしている。少なくともそれは、自分の内側から立ち上がってきたものだ。その意味で、振り返ったり後悔したり悩んだりすることはない。お金がなくて困ることはあるかもしれないが。

 

しかし、本書の登場人物がそうであるように、時間の法則にしたがって立ち止まらずにやっていきたいと思っている。会社員時代は黒く染めていた髪も、いまは本書に登場する50年寄り添った夫婦のような「ロマンスグレー」になった。

 

結婚してまだ13年しか経っていないのに見てくれがジジイになって、妻や子供たちには申し訳ない。黒髪の会社員時代とうってかわって、どう感じているのだろう。本書の老婦人のように、シドニーのロリキート(色とりどりの鳥)よりも素敵と思ってくれるだろうか。

 

生き方とは、自分の内側から立ち上がってくるものだ。ただ、そう生きると決めたからには、お金や世の中の価値観に惑わされることなく、立ち上がってくるものに従うことを徹底すべきだと感じている。本書の登場人物、あるいは著者がそうであるように。

 

『木曜日にはココアを』宝島社
青山美智子/著

この記事を書いた人

吉村博光

-yoshimura-hiromitsu-

HONZレビュアー

出版取次トーハン就職後、海外事業部勤務。オンライン書店e-honの立ち上げに参加。その後、ほんをうえるプロジェクトの初期メンバーとなり、本屋さんの仕掛け販売や「AI書店員ミームさん」などの販促活動を企画した。一方でWeb書評やテレビ出演などで、多くの本を紹介してきた。50歳を機に退職し今は無職。2児の父で介護中。趣味は競馬と読書。そんな日常と地続きの本をご紹介していきたい。


★こんな仕事をしています
・HONZ http://honz.jp/search/author/

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を