田中角栄にまつわる陰謀論を喝破する、いま話題のノンフィクション

田崎健太 ノンフィクション作家

『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA)
春名 幹男/著

 

 田中角栄という政治家は、日本政治史で強い光を放つ太陽であり、同時に年代や立ち位置によって評価が分かれる多面体でもある。
 かつてぼくは『維新漂流 中田宏は何を見たのか』という本を上梓した。主人公である中田宏は九三年の衆議院議員選挙で日本新党から立候補、初当選した。日本新党は、田中角栄=金権政治の否定から始まった政党だった。中田は田中の人間的な魅力は認めるものの、彼の政治手法は“あの時代”であったから通用したと考えていた。
 ぼくは中田の二つ年下に当たる。同年代である彼の田中に対する評価については全面的に同意する。付け加えるとすれば、物書きであるぼくは、突出した特異な人間に惹きつけられがちである。田中の秘書であった早坂茂三、あるいは後藤田正晴などの手による“田中像”は実に魅力的だ。薄っぺらい世襲議員ばかりになってしまった昨今の国会議員たちとは違う、分厚さ、逞しさがある。そうした郷愁のような彼の評価を裏打ちしているのは、様々な“伝説”や“陰謀説”だ。
 春名幹男の『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA)では、ロッキード事件の田中角栄にまつわる“陰謀説”を検証している。
 最も広く流布し、信じられているのは「資源外交説」である。田中は日本独自の資源供給ルートを確保するために「資源外交」を展開していた。それにより日本を配下に置きたいアメリカの“虎の尾”を踏むことになった。ロッキード事件は不都合な田中を葬るためにアメリカが起こした陰謀だった、と。
 春名は〈本当に、田中の資源外交をぶっ壊す国際的陰謀はあったのか。そんな疑問に対して、証拠を示した回答が提示されたことは、これまでまったくない〉と前提した上でこう書く。

 

 日本では、ロッキード事件をめぐって、長らく陰謀論や謀略論が満開の様相を呈してきた。これに対して、政治学者の新川敏光が斬新な見方を提起している。
 新川によれば、どの謀略論の源泉も「若き日の田原総一朗による『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』に辿り着く」というのだ。
 この田原論文は、今日に至るまで繰り返し引用され、再生産されてきた。それには理由がある。この論文は、さまざまな陰謀説を満載していて、刺激的に面白い読み物だからだ

 

 この『中央公論』誌の七六年七月号に掲載された“田原論文”を〈うわさ程度の話を含め、真贋を吟味せず、証拠のない陰謀話を連ねている〉と春名は結論づけている。
 こうした“陰謀説”などの反証材料となったのは、アメリカ側の公開文書、そして文書に基づく春名の丁寧な取材である。
 この『ロッキード疑獄』をめくっていくと、まずその資料渉猟の労力、粘り強い取材に敬服し、やがて今年読んだ本の中で最も印象的だった一冊、『秘密資金の戦後政党史 米露公文書に刻まれた「依存」の系譜』(新潮選書)が頭に浮かんで来た。
 『秘密資金の戦後政党史』の名越健郎は、本の成り立ちを前書きで説明している。

 

一九九一年のソ連邦崩壊、冷戦終結は黒船のように政界を直撃し、自社体制が固定化した「五五年体制」が終わり、政党間の離合集散の時代に入った。冷戦終結のもう一つの副産物が、米ソの公文書公開だった。
 筆者は時事通信の記者として、ソ連崩壊前後のモスクワ、九〇年代後半のワシントンに駐在し、両国の公文書館を回った。当時のエリツィン、クリントン両政権は情報公開に積極的で、日本政府や政党に不都合な資料も出てきた

 

 この本によると、ある時期まで自民党の岸信介、佐藤栄作は、〈内外政策の最高機密情報を積極的に(※筆者注・アメリカ)大使に報告していた〉という。日本政府の駐米大使がアメリカの大統領と頻繁に面会し、情報共有するなどありえない。日本とアメリカの“片務的関係”の証左である。
 ただ、名越は〈岸は米国から資金援助を受け、米国一辺倒外交だったとはいえ、「自主防衛」「自主外交」を理想に掲げ、あくまでも国家自立のために米国を利用していた側面もある〉と指摘している。
 一方、社会党は単純に卑しい。

 

ソ連公文書に残る社会党幹部とソ連大使館員の会談記録を読むと、社会党側がソ連の軍拡や北方領土問題を提起することは全くない。ソ連側が議題を提起しても、社会党側はすぐに同調し、その後「内輪の話」に持ち込んで貿易操作や資金提供などの頼みごとに移っていく『秘密資金の戦後政党史』

 

 文書によると、最初は中国から、その後はソビエト連邦から、内部情報を提供し、金をせびり続けた。
 七〇年代、田中角栄政権の金権政治、汚職体質に対する批判が巻き起こり、社会党に政権交代の可能性があった。ところが、社会党は(資金援助を受けていた)ソ連共産党の“革命路線”に従い、現実路線を採ることが出来なかった。
 日本において“右”も“左”も他国の顔色を伺っていたことになる。
 ぼくが屈辱を覚えたのは、この二冊の共通点――他国の公文書によって、醜い日本政界の姿が浮かび上がってきたことだ。
 『ロッキード疑獄』で春名は、アメリカでは情報公開が進んでいるという印象があるが、現実には国益に直結する文書は公開されていないと書いている。CIAの協力者であった“巨悪”――岸信介(そして中曽根康弘)、児玉誉士夫の資料はその中に入っているようだ。そのため、未だに彼らが日本とアメリカの間でどのように立ち回ったのかは、不明だ。
 そして、残念ながら今後もその闇に日本側から光が当たることはないだろう
 以下は名越の指摘だ。

 

米国やロシアの官僚は、公文書を秘匿することはあっても、破棄することはまずない。公文書の「破棄」がシステムとして存在するのは、実はわが外務省である

 

 民主主義国家では国民に「知る権利」が保証されている。国家の舵取りをした人間たちの判断が正しかったのかどうか、後世の人間たちが検証するのは当然のことだろう。それが不可能になっているこの国はまともなのか。そんな風に考えてしまう二冊である。

 

『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA)
春名 幹男/著

この記事を書いた人

田崎健太

-tazaki-kenta-

ノンフィクション作家

1968年京都府生まれ。 早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。「週刊ポスト」編集部などを経て1999年末に退社。スポーツ、政治、旅などさまざまなテーマのノンフィクション作品を発表。 多数の証言を元にプロレス界に迫った『真説・長州力 1951‐2015』(集英社インターナショナル)、自ら死を選んだ元メジャーリーガーの生涯を追った『球童 伊良部秀輝伝』(講談社、ミズノスポーツライター賞優秀賞)、名優と昭和の映画界を描いた『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)、巨大化するサッカーとカネの関係にメスを入れる『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など著書多数。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。最新刊『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』(集英社インターナショナル)が7月に発売。 撮影/タイコウクニヨシ

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を