2020/09/23
田崎健太 ノンフィクション作家
『浪漫疾風録』中央公論新社
生島 治郎/著
それなりの期間生きていると、あのとき話をしておけば良かったと後悔する人がぽつぽつ頭に浮かぶものだ。
ぼくにとっては、この本の著者、生島治郎もそんな一人だ。
九四年から約一年間、ぼくは『週刊ポスト』の連載班にいた。まだ二十代だった。その頃、先輩から誘われてしばしば、小説関係の受賞式、パーティに出かけた。そこで生島の姿を何度か見かけ、一度は名刺交換をしてもらった。彼はすでに大御所的な扱いで、周囲に気を遣ったのか、距離を置いていたような印象がある。ぼくは心の中で「『片翼だけの天使』の生島さんだ」と叫んでいた。逆に言えば、『片翼だけの天使』しか、彼の作品を知らなかったのだ。
その後、『週刊ポスト』で『片翼だけの天使』の続編である『暗雲』の連載が始まった。主人公の「越路玄一郎」は20才年下の韓国籍のソープランド嬢と結婚した作家である。妻はホームシックからか、幼馴染みの韓国人男性と不倫。この男性と別れる条件で妻に居酒屋を始めさせる。ところが今度は、居酒屋のコックと男女関係になってしまう――。
連載を読みながら、ここまで赤裸々に私生活をさらけ出すのかと驚いたことを思い出す。
この『浪漫疾風録』は『暗雲』よりも少し前、九三年に講談社から単行本、九六年に文庫が発売されている。今年五月に中公文庫として二度目の文庫となった。
主人公はやはり「越路玄一郎」である。
越路は、大学の英文科を卒業後、「ナベ底」と呼ばれた不景気もあり、なかなか就職が決まらなかった。なんとかデザインプロダクションに潜り込み、下働きをしているとき、早川書房が編集部員を募集していると耳にする。神田駅のすぐにそばにある古びた木造家屋――早川書房の面接で、越路を出迎えたのは、編集長の田村隆一だった。田村は戦後を代表する詩人の一人でもあった。
越路は六十人以上の志望者の中からたった一人、見習いとして採用された。
入社直後、越路を選んだのは親元から通えるからだったと、田村から教えられた。早川書房の月給は安く、それだけでは生活できなかったのだ。
田村はこう続ける。
「ここではこき使われるかもしれんが、きみにとって、いろいろ勉強になることも多い。ま、自費でオックスフォードとかエールへ留学したと思えば月給をくれるだけましだ」
田村の言葉通り、越路は煌めくような才能と接することになる。
同じ編集部には、都筑道夫、常盤新平がいた。ライバル誌の編集長は中原弓彦こと小林信彦。書き手には、江戸川乱歩、佐藤春夫、開高健、結城昌治、田中小実昌、佐野洋、青木雨彦、陳舜臣、鮎川哲也――。
若い書き手が多く、みな才気に溢れていた。
その中で越路は編集者の仕事の面白さに取り憑かれていく。
編集という仕事は、いわば縁の下の力持ちみたいなもので、陽の当たるところへ出ることはない。むしろ、自分が陽の当たるところへ出まいとするのが粋なのだと越路は思いじめていた。
自分の手掛けた仕事が世間の評価を受けたり、自分が協力した作家が四の注目を浴びる――それが編集者冥利というものだと少しずつわかってきた。見えない勲章こそ、編集者の誇りなのである
作家というものは孤独であり、不安感を抱いているということもわかってきた。一人で机に向かってする仕事だけに、他人が自分を、あるいは自分の仕事をどう見ているのかが不安になる。せっかく才能がありながら、不安感に陥り、自分で壁を作ってしまって、挫折する作家が多い。(中略)
作家は常に自信を持ちながら、筆をすすめめなければならないが、と言って、自己陶酔のまま書くわけにはいかない。書いている自分や、書いている原稿の内容を常にチェックする客観的な眼が必要なのである。つまり、書いている自分のうしろに、その仕事ぶりを覗きこんでいるもう一人の自分がいなければならない。(中略)その客観的な眼の役をするのが編集者ではないかと越路は思った
松本清張の出現以降、推理小説という分野が活性化し、細分化していく。そこに彼は編集者として立ち会うことになった。
やがて彼は安月給を補うために、他社からの依頼原稿を多数手掛けるようになった。そして、編集者から作家へと転身する。
編集者として日本の湿った風土に合った、ハードボイルド小説を書かせようとしたが、誰も応じなかった。ならば、自分でやってみようと考えたのだ。時代に背中を押されて、作家になったのだ。
書き手としての実績が違うが、ぼくも似たようなものだ。
子どもの頃から物書きになることを漠然と夢見ていたが、ノンフィクションを選ぶことになるとは思わなかった。週刊ポスト編集部に配属されるまで、ぼくが読んでいたのは海外文学――フィクションばかりだった。小学館でノンフィクションの賞を立ち上げることになり、下っ端編集者として関わることになった。“戦略的”にノンフィクションを研究し、書き手となった。また、曲がりなりにぼくが生き残ってきたのは、自分に「編集者としての眼」があるからだろう。
二十年以上前、生島に会ったとき、ぼくはすでに出版社を辞めるだろうと予感していた。彼が編集者出身の書き手だと知っていれば、勇気を振り絞って話しかけていたかもしれない。
なぜ『浪漫疾風録』などで他の登場人物は実名で、主人公だけ名前を変えたのか、ノンフィクションとフィクションの垣根をどう考えるのか、作家の私生活はどこまで晒すべきなのか――聞きたいことは沢山あった。
『浪漫疾風録』中央公論新社
生島 治郎/著