生き抜くためのかりそめ暮らし 「さいはての家」は誰にでも開かれている

馬場紀衣 文筆家・ライター

『さいはての家』集英社
著/彩瀬まる

 

 

「とにかくこの家はとても静かだ。蝉の声や葉擦れの音、隣のホームの生活音、古い歌謡曲の合唱が流れ込んでなお、静かだと思う。外の世界から隔絶されている。ささくれた畳に寝転がっていると、自分が誰だったか、何をしようと思っていたのか、意識にぽっかりと穴が空いたように思いだせなくなる一瞬がある。」

 

古いし騒音は聞こえてくるし、畳は傷みかけている。けっして住み心地がよいとはいえないのに、この家にはなぜか入れ替わり立ち代わり入居者が途絶えない。場所の力、というのがあるのかもしれない。「気が付けば、この家が唯一、俺をかくまってくれる居場所のような気がしている」そう入居者に思わせてしまう、不思議な魔力がどうやらこの家にはあるようなのだ。

 

そんな家にたどり着いた住民たちは、一癖も二癖もある人ばかりだ。たとえば新興宗教の元教祖の老婦人。仕事を言い訳に妻と子どもから逃げてきた男。姉のマリッジブルーに付きあう妹。駆け落ちの不倫カップルに逃亡中のヒットマン……。家族や過去、人生そのものから逃げてきたわけありの人たちが、なぜか導かれるようにしてこの古い貸家に越してくる。

 

彩瀬まるさんがこの本を描いたきっかけは、小説のメインストーリーからフェードアウトしていく人たちに惹かれたからだという。この本では、通行人たちがぼうっと通りすぎてしまうような、どこにでもある古びた作りの家へ逃げてきた人たちの想像もできないような人生が語られる。彼らには共通点がある。皆、人生に何かしらの生きづらさを抱えているのだ。

 

「ここではないどこか」を求めてこの古い家にやってきた住民たちは身ひとつのかりそめ暮らしのなかで、これまで自分たちを社会に繋ぎ止めていた規範や価値を測り直していく。それは、辛く厳しい作業だ。しかし物語を読み進めていくと、ほんのひと時でもこの家に住まなくてはならなかった理由が分かってくる。

 

人生に追い詰められた時、私たちは誰もが一度は逃げることを考えるのではないだろうか。そんな時、ほんの短いあいだでも呼吸を整えることのできる場所が用意されていたら、ずいぶんと生きやすくなるのではないか。

 

「逃げなきゃ死んじまうって思ったから逃げたんだろう。あんただけじゃない、誰だってそうだよ。それを許さない、なんて言われても、普通に困るじゃないか」

 

と言うのは、この古い貸家の大家だ。人生に立ち止まっていたって、食べたり、眠ったりはしなくちゃならない。それなら、人生の空白のようなこの家での生活も無駄ではないのかもしれない。

 

大家はさらにこうも言う。「逃げる、引き返すって判断は、時に現状維持の何倍も勇気が要るんだ。そこで逃げられないで、死んじゃう人もいる。ちゃんと逃げて生き延びた自分を、褒めなよ、少しは。」

 

疲れたら休んで、もう一度立ちあがるための準備をする。心を休めるためには、身体を横たえられる場所が必要だ。生きることはその繰り返しなのかもしれない。

 

『さいはての家』集英社
著/彩瀬まる

この記事を書いた人

馬場紀衣

-baba-iori-

文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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