「本が生きている」と感じるほど、作品の世界観にのめりこんだことはありますか?

樋口麻衣 勝木書店本店

『流浪の月』東京創元社
凪良ゆう/著

 

 

私には時々、「本が生きている」と思う瞬間があります。文字が印刷された紙の束である本ですが、どう考えても、それ以上の存在に思えてならないときがあるのです。

 

書店員としての立場で言えば、例えば、もうそろそろ返品しようかと思っていた本が、その日のうちに売れていくことがあります。そんな時は、まるで本が意思を持って「まだ返さないで」と言っているように思えます。読者としての立場で言えば、その作品の世界に圧倒され、心がその本に持って行かれたような、その作品が自分の中に入り込んでくるような感覚になることがあります。そんなとき「本が生きている」と思うのです。

 

今回は、私が読者として、「本が生きている」と思った作品をご紹介します。

 

『流浪の月』(凪良ゆう著、東京創元社)です。

 

とあるきっかけで出会った文(ふみ)と更紗。一度は離ればなれになった二人だが、時を経て二人は再び出会う。

 

更紗は思う。文と共にいることを世界中の誰もが反対し、批判するはずだと。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。

 

あまりの凄さに息をするのもやっとで、溺れそうになりながら読みました。自分の心臓がドクンドクンと鳴っているのが聞こえてくるくらいに、周りの音は聞こえなくなり、作品と一対一で向き合い、その世界に圧倒されました。

 

できるだけ先入観なしにこの作品を読んでいただきたいので、更紗と文、二人がどのように出会い、どのように離れ、どのように再会したのか、この紹介文では触れないでおきます。ただ、更紗と文の関係は、あえて誤解を恐れずに言えば、多くの人にとって「普通」ではないものかもしれません。更紗が文と共にいたいと思うこと、文のそばこそが自分の居場所だと思う気持ち、それは「愛」ではないのかもしれません。

 

でも、それこそが本当の「愛」なのかもしれません。読後もずっとこの作品のことが頭から離れなくて、更紗と文の関係を表す言葉を探していますが、私にはいまだに見つけられません。きっと一番適切に表す言葉はないのだと思っています。もしそんな言葉があるのなら、私はこの作品にここまで心を揺さぶられなかったでしょう。仮に適切な言葉を見つけ出せたとしても、そのことに大きな意味はないとも思います。そんな言葉があったところで、更紗と文の関係も気持ちも変わらないと、読み終わった今となっては思えるからです。

 

私はこの作品を読んで、今まで読んだどの本でも感じることのなかった、大きなものに包まれるような静かな安心感を得ました。そして心に迫ってくるような静かな激しさを感じました。ただ、読んだ人がこの作品にどんな感想を抱こうとも、それは間違いではないし、正解でもないと思います。これは二人の物語。居場所に辿り着いた人たちの幸せを邪魔することなんてできないし、誰かの幸せと誰かの幸せを比べることなんてできません。更紗と文の物語を知ってほしい、二人の決意を知ってほしい、ただそれだけです。ただそれだけなのですが、この作品を知ってほしい、読んでほしい、そう強く思います。

 

作中のとあるシーンで出てくる一文に、こんな言葉があります。

 

わたしたちは、もうそこにはいないので。

 

この言葉を読んだ瞬間、息をのみました。言葉で胸を突き刺されたような感覚になりました。この一文に、決意も、寂しさも、幸せも、過去も、未来も、すべてが詰まっているように思いました。この物語を読んできたからこそわかる、痛くて、切なくて、苦しくて、でもちょっと幸せで、どの言葉よりも強いこの一文に出会った瞬間こそ、私が「この本は生きている」と思った瞬間です。

 

どうかこの、生きているかのように心に迫ってくる物語の力を体験してみてください。きっとこの物語は、読んだ人の心を大きく揺さぶり、存在感を残し続けることと思います。

 

『流浪の月』東京創元社
凪良ゆう/著

この記事を書いた人

樋口麻衣

-higuchi-mai-

勝木書店本店

1982年福井県生まれ。担当は文庫・文芸書。書店員となるきっかけとなった『異人たちの館』(折原一著)が2018年本屋大賞の超発掘本に選ばれる。過去のブックレビューとして、WEB本の雑誌「横丁カフェ」がある。好きなジャンルはミステリですが、書店員になって読書の幅が広がって、毎日読書が楽しいです!

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