2021/01/14
大南武尊 研究員
『天狗芸術論・猫の妙術』講談社学術文庫
佚斎樗山 /著 石井邦夫/訳注
元来武芸の主眼は、いかに技を磨き対峙する相手を倒すかだった。そのため、武芸は殺法の意味合いが強く、戦いという実践を通して極めていくものだった。
今話題の、鬼を滅する漫画の主人公が成長する様子を想像すると、分かりやすいかもしれない。度重なる鬼との死闘を通して、主人公が鬼を倒す技を極めていく。
一方江戸時代以降、平和な世になったことで、武芸の考え方が変わっていった。まず倒すべきは、「対峙する相手」から「意のままにならない自分自身」へと、そして武芸の主眼が技から心を磨くことへと変容したのである。
しかし、平和な世では実践の機会が少なく、しかも心を磨くというなんとも掴みどころのないことが主眼のため、武芸の修行から離脱する者が多かったようだ。
だから体系化され、なんとなく分かった気にさせる武芸のHOWTO本が、江戸時代に一気に増えたのである。
そんな時代に書かれた、分かった気になれる珠玉の一冊が本書である。
本書には天狗芸術論と猫の妙術の二つの話が収録されている。
天狗芸術論は、ある男が源義経のように剣術修行のため山に籠り、天狗たちの説法を聞く話である。
四章構成で第一章では、修行において重要なことが議論される。第二章、第三章では、道を修める理論的な議論がなされている。第四章では、具体的な修行の方法が語られている。
一方で猫の妙術は、あらゆる猫が退治できなかった大鼠を、利口そうにも俊敏そうにも見えない古猫がやにわに退治してしまい、人間や猫たちが古猫に教えを乞う話である。
どちらも共通して、武芸を極める方法が書かれている。その方法は、技、気、心の順に修行していき、無心に到達すること。このプロセスを、車の運転を例に見るとわかりやすい。
技とは、ブレーキを踏む動作や車庫入れといった運転技術である。気とは、運転時の機転や周りに気づく能力、集中力といったものである。心とは、安全運転の心がけや冷静さ、煽らない気持ちといった精神状態である。
まず運転技術を練習する。しかしいくら運転技術が優れていても、気を張っていなければ事故は起きる。だから次に気を修練する。しかしいくら技や気を修練したとしても、精神状態が不安定ならば事故は起きる。だから心の修養をしていき、無意識に安全運転ができる状態を目指す。この状態がプロフェッショナルということである。しかし「安全運転の心がけ」と口では言えるが、その極意は説明困難であり、運転者が実践などを通して自得するしかない。
この技、気、心の修行プロセスは武芸だけにとどまらない。芸能でも、スポーツでも、仕事でも、何かを極めようとするとき、同じことが言えるのだ。そもそも車の運転の例だって、武芸の話ではない。
つまりこの本は、「あらゆるプロフェッショナルになるための本」なのである。
さて、ここまで読んであなたは、なんとなく本書の内容が分かった気になったのではないだろうか。しかしその極意は、実際に読んで考えなければ分からない。いや、読んでも分かった気になるだけかもしれない。それでも何かを極めたい人は、本書を読んではどうだろうか。プロへの道が開けるかもしれない。
また内田樹氏による解説も秀逸である。是非こちらも合わせて楽しんでみてほしい。
『天狗芸術論・猫の妙術 』講談社学術文庫
佚斎樗山 /著 石井邦夫/訳注