2021/02/12
馬場紀衣 文筆家・ライター
『よそ者たちの愛』白泉社
著/テレツィア・モーラ 訳/鈴木仁子
19歳でハンガリーからドイツに移住し、いまやドイツ語圏を代表する作家のテレツィア・モーラ。彼女は1971年にオーストリアと国境を接する町ショプロンに生まれ、小さな村ペテハーザで育った。1989年にブタペスト大学に入学し、壁崩壊後の90年にドイツへ移住。ベルリンのフンボルト大学で演劇学とハンガリー文学を修めた彼女は、ハンガリー文学の翻訳者としても有名だ。
本書では、現代社会にうまく適応できず、ささやかな願望や憧憬を抱えて都市で生活する10人の人生が、ゆっくりと穏やかな筆致で綴られる。
『魚は泳ぐ、鳥は飛ぶ』では、仲間うちで「マラソンマン」と呼ばれている初老の男性がエコバックの中に入っていた日常をひったくりに奪われたことから物語が始まる。かつて鉄道に勤めていたが(車掌だった)、いまは冴えない年金暮らし。飛行機にも船にも乗ったことはないけれど、これまで何千キロを、あるときは24時間ぶっ通しで走りに走ってきたマラソンマンは、自慢の脚力で犯人を追いかけて走り出す。
『森に迷う』のホテルマン、ペーターは親の世話をしながら静かな生活を送っている若者だ。彼の唯一無二の楽しみは、仕事の行き帰りに車のミラー越しに朝陽と夕陽を見ること。
ハンガリーの村でドイツ語マイノリティとして育った作者の生い立ちと関係しているのだろうか。10の短編に出てくるのは皆、身のまわりの世界にすんなりとなじめない〈よそ者〉たちだ。作者はそうした人生の途上に佇む人たちの心の内へと入りこむ。
とはいえ、彼らは自分自身と折り合いをつけられずにいるだけの、どこにでもいる普通の人たちだ。アウトサイダーと呼ばれるほど疎外された環境を生きているわけじゃないし、社会からのけ者にされたり、迫害されているわけでもない。恋人や家族もいるし、仕事だってある。電話をし、食事を作り、散歩に出かけ、しごく真っ当に暮らしている。けれどその生き方は傍から見たら、滑稽なほど不器用だ。ほんの少し境遇が違えば、誰もが彼らになりうるかのような、ままならない人生。そんな彼らの姿は、まるで見知った人のように不思議とどこか懐かしい。
〈よそ者〉とは社会に馴染めない存在であること、ひいてはおそらく、自分の写し鏡のことだろう。彼らはいつも走りながら、運転しながら、心の居場所を探して動き回っている。そして、そのあいだも世界に耳をそばたてることを忘れない人たちなのだ。
『よそ者たちの愛』白泉社
著/テレツィア・モーラ 訳/鈴木仁子