きのこを知るには、すべての感覚を鍛えなければならない――。驚きと神秘に満ちた、不思議な力の正体。

馬場紀衣 文筆家・ライター

『きのこのなぐさめ』みすず書房 
ロン・リット・ウーン/著 枇谷玲子/訳 中村冬美/訳 

 

 

本書は、最愛の夫を突然の病気で亡くした女性文化人類学者の回想録。著者の死の悲しみとタイトルにある「きのこ」とのあいだにいったい、何の関係があるのかと思ったことだろう。しかし本書を読みさえすれば、作者に働きかけたきのこの不思議な力の正体を知るとともに、読者は驚きと神秘に満ちたきのこの世界に魅了されることになる。

 

私も含め多くの人がきのこと言われて思い浮かべるのは、スーパーに並ぶ日常食としてのきのこだろう。しかし、きのこの世界はじつに広大で、地上にあるきのこの種類をすべて数え上げることは難しいと著者は語る。というのも、きのこ種の大半は顕微鏡で見なくてはならないほど小さいし、未発見の種がどれほどあるかも専門家の間で意見が分かれているのだ。著者の暮らすノルウェーでは、およそ四万四千種のきのこが確認されている。すごい数だと驚くかもしれないが、これはきのこ全種のおよそ20%に過ぎないというから、さらに驚がくする。しかも、森で見かけるきのこは全有機体のほんの一部に過ぎない。きのこの世界がいかに広いか、理解してもらえただろうか。

 

きのこは美味しいだけでなく、時に魅惑と恐怖をも連れてくる。きのこのなかには、死に至る毒を持つものや、幻覚を引き起こすものもある。著者もまた、きのこに魅了された一人だ。夫を失い、悲しみにもだえ苦しんでいた著者は「きのこ講座」に参加したことをきっかけに、自分を取りもどしていく。きのこは、危機的状況にあった彼女の心を癒し、人生に再び光を投げかけ、暗闇から抜け出す役割を果たしたわけだ。著者にとって、きのこ狩りとは「野趣にあふれた官能的な体験」だった。

 

「きのこに魅せられてからというもの、靴のつま先の前には、制御しきれない論理と生命力――かつて私が素通りしていた――魔法のような世界、見えないパラレルワールドがあると気がついた。きのこを見つける度、時間が止まったような感覚に陥る。フローと禅の両方を一度に体験する。喜びと宇宙全体との一体感は、心の充足と多幸感の両方をもたらす。この時、当てはまるのはひとつのみ。自分が今、まさにそこにいること―つまり自分の行動に専念すること。」

 

本書を読んで興味深かったのが、きのこ狩りには五感を使うということ。きのこについて知るには、知識だけでなく嗅覚をはじめ、すべての感覚を鍛えなければならないのだという。

 

「おかしいと思われるかもしれないが、きのこの種の判別に聴覚を用いることもある。そう聞いた人が詩人なら、『きのこが一体どうして歌うんだろう』と思うかもしれない。また別の人は、『きのこから音がするの?』と聞くのではないだろうか。(中略)表面に細かい穴が空いているのを特徴とするコショウイグチには四~六・六センチの黄色い柄がついていて、突然ポン!という小さな音を立てることがある。菌類の発する一種のシャンパンのコルクを開けるみたいな音。きのこが歌うのを聴きたければ、聴覚を用いることだ。」

 

人間ときのこ、きのこと世界、世界と世界のなかで起きる出来事、こう並べてみるとひどく異なるテーマのように思えるかもしれない。しかし、きのこの世界の複雑さも、著者の経験した悲しみの深さも、きのこによって開かれた森での新しい経験も、本質的には自分の感覚を使うという意味では同じであるように感じる。

 


『きのこのなぐさめ』みすず書房 
ロン・リット・ウーン/著 枇谷玲子/訳 中村冬美/訳

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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