2021/10/22
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』集英社
橋迫瑞穂/著
あなたは、「子宮系」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「ネットの記事で見かけた」「書店に並んでいた本を見たことがある」という人もいるだろう。「ああ、あの膣にパワーストーンを入れる人たちでしょ」というイメージを持っている人もいるかもしれない。
本書『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』によると、「子宮系」とは、女性の生殖器である「子宮」に神聖性や神秘性を見出すことで、自身の女性らしさを獲得したり、生き方の方向性を決めたりする考えや価値の一群を指す。
「子宮系」は、ヨガや占い等のスピリチュアル・ブームから派生したものであり、主張の内容が非科学的であること、高額なセミナーやセッションを開催していることから、批判を受けることも多い。その一方で、一部の著名人をはじめ、「子宮系」の発するメッセージに共感する女性たちは、一定数存在し続けている。
こうした「子宮系」や「胎内記憶」、「自然なお産」など、妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティについて、著者の橋迫瑞穂氏は、それぞれの主張や存在を頭ごなしに否定せず、こうしたスピリチュアリティが女性たちの共感や支持を得ている背後にある社会構造を丁寧に分析している。
「子宮系」においては、「子宮」は、単なる臓器の一つではなく、女性にとって、自分自身を無条件に肯定することのできる拠り所として、祭り上げられている。
性別分業や女性差別が根強く残る社会の中で、子どもを産む性であること=「女性らしさ」を肯定的かつ前向きに受け入れることを促進してくれる「子宮系」は、社会の中に溢れている「女性らしさ」を疑い、その抑圧性を批判する立場を取るフェミニズムとは、極めて対照的な存在である。
また「子宮系」が発信するメッセージの中では、男性の存在がほとんど言及されていない。著者によれば、この男性の不在は、妊娠・出産をめぐるスピリチュアル市場において、広く見いだされる傾向であるという。
そして「子宮系」を含めた妊娠・出産に関するスピリチュアリティにおいては、社会に対する視線が排除されている、と著者は指摘する。
男性(父親)の存在、そして外部の社会からの影響を排除した、母と子だけの閉じられた世界の中で、全てを自然な形で解決したいという願望は、医療批判や代替療法との親和性を高めることになる。
こうした点も、「女性の生きづらさの原因は、家父長制をはじめとした男性中心社会にある」という視点に依拠するフェミニズムとは、極めて対照的である。
妊娠・出産に聖性を見出し、全面的に肯定するスピリチュアリティと、妊娠・出産の背景にある性別役割分業や性差別を批判するフェミニズム。両者は、一見すると水と油のように思えるが、本書を読み進めていくうちに、両者は、実は同じコインの裏表であることが浮かび上がってくる。
「仕事か出産か」「キャリアか育児か」という選択を、女性だけに一方的に迫る社会。
妊娠や出産に伴う負担の全てが、女性個人に押し付けられてしまいがちな社会。
こうした社会の中では、女性が「産む性」という厄介な身体を抱えながら、自らの生きづらさの原因を特定の対象や物語に帰責し、緩和していくための手段が必要になる。だとすれば、「子宮系」もフェミニズムも、機能的には等価な存在であると言える。
一方で、性別役割分業や性差別が固定・温存され、消えることのない生きづらさを抱えた女性たちが「子宮系」などのスピリチュアリティ、そしてフェミニズムへと吸引(あるいは疎外)され続ける社会、そして全ての男性が後景に退けられている社会は、お世辞にも健全とは言えないだろう。
「ぜんぶ子宮のせいだ」あるいは「ぜんぶ男社会のせいだ」と信じることができれば、一時的には楽になれるかもしれない。しかし、妊娠や出産から社会的な意味をそぎ落とすことは不可能であるし、神聖性や神秘性だけで捉えることも不可能だ。
そして何より、出産後に待ち受ける子育ての困難は、スピリチュアルやフェミニズムだけではどうにもならない。ハッシュタグをつけた投稿がバズれば、性差別的な発言をした政治家を辞任に追い込むことはできるかもしれないが、目の前の子どもを泣き止ませることはできない。子宮の持っている神秘的な力だけで=パートナーである男性や自治体の物理的・社会的なサポートなしで、子育ての時期を乗り切ることも難しい。
誰も自分の身体からは逃げられないし、社会からも逃げられない。身体に逃げても、社会に逃げても、同じ袋小路にぶつかるだけだろう。
身体と社会、どちらの視点も排除せずに、自らの生きづらさを解消していくためには、何が必要になるのか。本書は、この問いを考えていく上での重要な参考書になるはずだ。
『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』集英社
橋迫瑞穂/著