人類史上初のサイボーグ化を目指した科学者の挑戦

三砂慶明 「読書室」主宰

『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン』東洋経済新報社
ピーター・スコット-モーガン/著

 

老いが病いだと指摘した『LIFESPAN 老いなき世界』を読んで、人生120年時代を誰もが若く生きられる可能性があるのだと衝撃を受けました。しかし、まさかその一年後に、人間とは何なのか、定義そのものを書き換えられる一冊に出会うことになるとは、思いもよりませんでした。

 

はじめ、ビジネス書だと思って手にとった『ネオ・ヒューマン』は、著者の現在と過去が同時にすすみながら、人間にとって自由とは何なのか、という究極の問いへと収斂します。
経営コンサルタントとして経済的にも成功をおさめ、博士、インペリアル・カレッジ卒業生、理学士、認定情報技術者、公認技術者、英国コンピューター協会会員、観光学博士などきらびやかな経歴をもつ著者に、突然、ささいな異変がおこります。

 

パートナーと北極圏にオーロラをみる旅にでかけ、体を拭くために足を持ち上げようとしたときに右足が思うように動かないことに気がつきます。水滴を振り払おうとしてもわずかに足がくねるだけで動かない。同じようなことが数回ほど起こりましたが、著者は足がつったのだと解釈して、その出来事は無意識下にしまいこまれます。
次に異変がおきたのが三ヶ月後で、右足が震えはじめます。科学者であり、やり手の経営コンサルタントとして数々の難問を解決してきた著者は、自分に起きた異変を究明すべく、病院であらゆる検査をうけて、その謎を解き明かそうとします。その結果、自分の身体に起きている異常が、宇宙物理学者、スティーブン・ホーキング博士と同じ、運動ニューロン疾患(ALS)であることが判明します。

 

疫学統計を参照すると、ALSの発症後、1年以内に30%が死に、2年以内に50%が死に、5年以内に90%が死ぬ。ALSは、24時間の介護を必要とし、生きている限り、完全に無力なまま自分の肉体という究極の拘束衣の中に囚われることになる不治の病として知られています。著者に残された時間は、約2年。
事実を受け止めれば、絶望しかない状況で、著者が見出したのは、希望でした。

 

ALSを研究し、歩く辞書と化した著者がまず目を向けたのは、ALSの患者の死因でした。ALSの大多数の患者の死因は、食べ物を飲み込めなくなるために餓死するか、もしくは呼吸ができなくなるために窒息死で命を落としています。しかしながら、患者の消化管は問題なく機能しつづけているし、肺をふくらませる筋肉は衰えるものの、肺そのものは機能している。とすればALS患者が命を落とす原因は、健康上の問題ではなく、あくまで技術的な問題なのではないか、と事実を科学的に検証して驚くべき仮説を立てます。そして、大胆にも、「僕は人類史上初の完全なサイボーグになる」と宣言して、自分の肉体を改修工事していきます。身動きができなくなっても、最愛のパートナーと日常を思いきり楽しめるように、ありったけの最新テクノロジーを導入し、文字通り、人生をかけた実験を開始します。

 

著者の文章が、あまりにも読みやすく、読みながらときどき忘れてしまうのは、これがフィクションではなくて、ノンフィクションだという事実です。津波のように押し寄せてくる不安や絶望と向き合い、ただ生き延びるだけの人生ではなく、ありのままの自分を生きるためにはどうしたらいいかを懸命に考えて、自分自身の答えを出していく。そして、その結果、地球上で生命が誕生して以来、誰もなしとげたことのない真のパラダイム・シフトへと挑戦することになった本書は、「人間とはなにか」「生命とはなにか」という古代から連綿とつづく、人類の常識をアップデートしていきます。

 

余命宣告から4年を経た2021年現在も、著者の探求は続いています。
どれほどの逆境が押し寄せてきたとしても、事実の観察を積み上げていけば、そこには希望の光が残されている。絶望とは、観察をあきらめた結果でしかないと、私はこの本に教えてもらいました。人類に新しい希望の灯をともす、途方もない一冊です。

 

『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン』東洋経済新報社
ピーター・スコット-モーガン/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

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