2021/11/25
横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店
『星を掬う』中央公論新社
町田その子/著
母との関係を拗らせたまま大人になった。
大きな欠落を抱えたまま生きる、かつての少女はきっと多い。
かくいう私もそのひとりだ。
ありふれた話だ。どこの家庭にだって起こりえる悲劇だ。
けれど秘密をかかえた当人にとって、こんなにも重いものはないというほどに重く、伝え損ねた愛は歪んだまま育ってしまった。
本当の意味では、わからないのだ。
愛情の渡した方も受け取り方も、私にはわからないのだ。
『星を掬う』は、歪な母と娘の姿を、そしてふたりが辿り着いた果てを繊細に描いた物語だ。
主人公の千鶴が小学校一年生の夏、母は姿を消した。
その夏は特別な夏で、思い返せば母はふたりの最後の思い出をつくりたかったのだろう。
母の愛車の赤い自動車に乗って、海へ行き温泉へ行き、高級旅館に泊まる日もあれば車中泊をする夜もあった。母の誕生日に打ち上げられた花火と、母の笑顔を思い出す。
初めての、ふたりだけのあまりに幸福な時間。
家のなかにいるときとはまるで違う、様々な表情をたずさえた母の姿がそこにはあった。
母は明るく、美しかった。
夢のような華やかな日々はしかし、唐突に終わりを告げた。
父と、同居していた祖母が宿に現れたとき、母との夢の時間はぱちんと弾けてしまった。
祖母に連れられて父の車に乗った千鶴が見た、母の最後の姿はいつもと同じ悲しみの藍色を纏っていた。
幻のようなあの夏から二十二年。
母との夏の思い出がラジオ番組に採用されたことがきっかけで、千鶴は母と久しぶりの再会をはたす。
千鶴の「いま」は悲惨だった。
夫は結婚した途端にひとが変わり、仕事を起しては辞めることを繰り返し、そのたびに借金をふくらませた。やがて、うまくいかない腹いせは千鶴への暴力に変わっていった。
やっとの思いで離婚をしたけれど、どこからともなく金の無心に現れ、少ない給料を容赦なく毟り、あげく暴力までふるっていく。
母がいなくなった家では、父と祖母との生活がつづいた。
幼い千鶴に吹き込まれる母への憎悪は心の奥底にしずむ。母と二度と会えなくなったさみしさを語ることは許されず、吐露できる場所などなかった。
やがて父は死に、祖母も死に、千鶴の家は崩壊し絶えた。
母が、わたしを捨てたから。
わたしは、こんなにも不幸を背負った女になった。
再会した母に、かつての面影はない。
憎らしいほど明るく溌溂としている母。
みなに愛され、みなに愛情を与えている母。
かつての千鶴が欲していた愛を、惜しげもなく与える母を許すことなんてできない。
許してしまったら、もう二度と立ち上がれないだろう。
かつての「わたし」が今なお巣くう、大人のふりしたわたしの存在は粉々に砕け散ってしまう。
千鶴自身の事情と、母の抱えるある事情が重なってふたたび生活をともにするようになった母娘。ふたりの間には冷え冷えとした空気が漂い、埋まることのない空白の日々がふたりの間に言葉がうまれることを阻む。
知りたいと思う気持ちの先には知らなければよかったという恐怖が控え、わかりたいと願う向こうに“愛されなかった”何の価値もないわたしが、これ以上傷つきたくないと怯えている。
けれど、千鶴は知っていく。
母はあのとき、自分の人生の手綱を必死に手繰り寄せなくてはならないほど追い詰められていたこと。奪われてしまった人生をふたたびやり直すためには、実の娘さえも捨てなければいけなかったこと。
それはきっと、本当の母で――本当の自分の人生を生きる聖子という名のひとりの女性として、ふたたび千鶴と巡り会うためだった。
あのひとのせいにして思考を止めてきたわたしが、わたしの不幸の原因だったんだ
「ごめんなさい」
「そして、ありがとう」
「いい子になるんじゃないよ、ばかだね」
母の言葉に耳を澄ませる日々は、もう終わりだ。
母の謝罪を期待して、母の感謝を待ちわびて、自分の声をおざなりにするのはもうやめだ。
千鶴は、ここから人生をふたたび拾い集めていく。過去を抱き寄せ、いまを踏みしめ、未来を見つめて歩いていく。
きっとできる。きっと、大丈夫。
なぜならわたしは、あなたの娘だから。
大きな勇気と愛情を内に秘めた“あなた”の娘なのだから。
私は、この物語に出会った意味を考えずにはおれないでいる。
千鶴が母にぶつけた暴言は、かつての私が母に抱いた感情だった。
千鶴が母に対して打ち明けられなかった想いは、いまでも母に伝えられない私の想いそのものだった。
「お母さん、私だけを見てよ」
こんな一言が言えなくて拗ねて拗らせ、愛情を信じられないまま、大人になってしまった。
でも、母もそうだったのかもしれない。
聖子の葛藤はかつての母が抱いた葛藤かもしれない。
聖子の明るさは母のもつ明るさによく似て、私にはすこし眩しすぎる。
眩しさに目を細めた刹那、見落としてしまったものがたくさんあったのかもしれない。
母の視点をもたない私は想像することしかできないけれど、まったくの見当はずれでもない気がしている。
母と娘の物語。
ありふれた、でもかけがえのないたったふたりの物語。
母は母の人生を生きる。
わたしはわたしの人生をゆく。
たったこれだけの事実から顔を背けた途端に愛は頑丈な鎖へと変貌し、それは互いを縛り上げる呪いとなる。
でも、私は知ってもいる。
自らが選択した道をぼろぼろになって抜けたとき、広がる景色はあまりに鮮やかなものだった。それはあまりにも綺麗で泣きたくなるほどだった。
旅の途中であっても、世界はこんなにも美しい。
母と娘の物語には、色とりどりの花がよく似合う。
悲しみを称えた青も、死者を弔う白も、感情をそのまま切り取ったかのような赤やピンクやイエローも、どんな色も私たちをゆたかに彩ってくれる。
花々が咲き誇る世界の主人公は私であり、あなただから。
それぞれの物語を抱えたままに。
ねえ、お母さん。
ともに隣を歩いていこうか。
『星を掬う』中央公論新社
町田その子/著