人が生きるうえで不可欠な「美」とは何か。美術とともに人類の歩みを考える

馬場紀衣 文筆家・ライター

『美は時を超える―千住博の美術の授業II』光文社新書
千住博/著

 

モネ、ドラクロア、エルンスト、デューラーそして著者の作品まで(本書の執筆者は日本画家でもある!)、ほぼすべてのページに絵や写真が添えられている。絵画だけでなく、洞窟の線描画や兜の写真まである。美術の授業といっても、まったく難しい本ではない。文章はとても読みやすいし、「美」を鍵穴に芸術について読み解いていくうちに人類の長い歴史を振りかえっているような気分にさえさせてくれる。

 

「人間は驚くほど皆同じであり、嬉しければ笑い、悲しければ泣く。美味しいものを食べれば美味しいと感じる。国境や民族、宗教そして思想をも超えて、人間は皆同じなのです。そのことを伝えるのが美の役割です。『私たちとあなたたちとは話をしても到底わかり合えない』。この考え方が、現代のさまざまな問題の根にあります。しかし美を共通の体験として人々は、あなたと私は同じ人間なのだ、ということを知ることができるのです。美の前で、人々は絶対的な自分の本心に向かい合うことになるのです。美しいと感じる心を欺くことはできません。」

 

美しいものから何かを受け取ろうとする姿勢は、今も昔も変わらないはずだ。私たちは世界に溢れかえる数多の美術品からなにを受けとることができるだろう。

 

ニューヨークのメトロポリタン美術館には1万4000点もの武具が収蔵されている。そのなかで、もっとも美しいと著者が語るのが鎧兜だ。日本の兜が美しいのは、なにも高価な宝石や貴金属で飾り立てられているからではない。もちろん、龍やうさぎなどが施された見事な装飾には目を見張るものがあるが、美術品としての兜はほんの一面にすぎない。兜の面白さは使用された時代や場所、文化、思想を強く反映していることにある。兜は基本的には実用品で、美を通して時代性が鏡のように映るのだという。

 

兜が人間存在と関わっている、という著者の指摘は面白い。兜をはじめとする戦いの道具が美しかった時代は、それをまとう人一人の命が重かったということでもある。人びとは死のために美を用意したのだ。鎧兜の場合には、人が魂の象徴として機能していたのではとも述べている。

 

「部屋に置かれているときは、その存在は生でも死でもないといえます。しかしいったん武士が身にまとうことにより、生命を吹き込まれたかのように、『生』の存在として動き出すのです。そして生と死を超越した神の領域へと移ってゆくのです。それ以外のときは、あえていえば『ぬけがら』のような『物』にすぎないわけです。」

 

美術をていねいに読み解いていくと、人類史を通して人間は美しいものと共に生きてきたのだと実感させられる。美術作品をふりかえることで、忘れかけていた大切なものを思い出す。その役割を担うのが美なのだと、著者は語る。

 

『美は時を超える―千住博の美術の授業II』光文社新書
 千住博/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

-baba-iori-

文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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