美術は生涯を通して人間を魅了する。「美術の素養」を本書で磨く
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2021/12/09

『名画の生まれるとき 美術の力』 宮下規久朗/著

 

鮮やかな挿絵の数々。ページをめくっているだけで気分がはずむ。カラヴァッジョ、レンブラント、ミケランジェロにルーベンス。西洋はもちろん、日本画に土器に建築と、ほぼすべてのページに美術作品が差しこまれていて、どの章から読もうかと迷うのが楽しい。

 

映画や歌謡曲とはちがい、美術を理解するにはある程度の素養が求められるという。そのためには美術館に足を運び、美術書を読むなどして知識を培う必要がある。しかし、こうした経験は日本の学校教育で得ることは難しいようだ。美術は実技であるとする日本の美術教育は、美術を味わうには芸術的センスが必要だとか、好き嫌いで見れば良いとの誤解を生んでしまった。

 

しかし一度その面白さに気づけば、美術は生涯を通して私たちを魅了し続ける。歴史を振り返ると美術はあらゆる文化圏において政治経済、思想宗教、生死にかかわる営みと深く結びついていたことが分かる。美術は優雅な鑑賞のためだけに作られたのではなく、いつの時代も人間にとって欠かすことのできない文化活動の中心に存在していたのだ。だから「美術は分け隔てなくあらゆる人間に作用する」のである。

 

「絵画の起源」について、古代ローマの博物学者で政治家のプリニウスがこんな話を残している。プリニウスによれば絵画の起源はコリントスの町シキュオンで、恋人を残して島を出る男性の影を女性がなぞったものである、という。なんてロマンチックな話だろう。さらに彼女の父親は陶器職人で、描いた影を壺に焼き付けて神殿に奉納したという。

 

「このエピソードはまた、男性が戦争に出兵して命を落としたことを暗示している。つまり『死』と『美術』は根源から結びついているのである。これが本当に最初の絵画であったとは思われないが、親しい者の似姿をとどめたいという欲求は、まちがいなく美術というものを生み出した大きな動機である。そしてそれは、目の前の人間の記憶というより、もう会えないという不在を埋め合わせるために生み出されたものであった。」

 

おなじような想いから、肖像画や肖像彫刻は誰かの死に際して記念や追悼のために制作されたという。紀元前520年頃のギリシャ青年の直立不動像は、墓碑だったとの説もある。真実はさておき、プリニウスの言葉は美術が生まれる契機の一つには死と宗教が深く関わっていたことを伝えてくれている。

 

《女性の肖像》2世紀後半 エジプト、テーベ出土

 

日本の美術は中国や西洋の影響を受けながら、独自の表現を生み出してきた。人物像が中心だった西洋美術とちがい、東洋で重視されたのは山水や花鳥といった自然だ。四季の移ろいと恵まれた自然が日本人の自然観や美意識を育んだのだろう。コロナ禍で西洋美術の展覧会が減少している今こそ日本美術の名品をたずねて、本物の作品に対面できる喜びを噛みしめたい。

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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名画の生まれるとき

名画の生まれるとき美術の力II

宮下規久朗

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