2022/02/14
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『言葉を失ったあとで』筑摩書房
信田さよ子・上間陽子/著
本書『言葉を失ったあとで』は、アディクション・DVの第一人者であるカウンセラーの信田さよ子氏と、沖縄で社会調査を続けている教育学者の上間陽子氏が、それぞれの経験に基づいて、「被害/加害」をめぐる理解の仕方などを具体的に語り合った対談集である。
本文中で、沖縄のヤクザのいる風俗店で働いていた未成年の女性が「自分は怖い人が好き」「ヤクザなんて怖くない」「持ち帰りされてそのあとセックスしたけれど、なんとも思っていない」と語っていたが、他のお店に所属するようになったら「前のお店はひどかった」と語るようになった、というエピソードがある。
言葉は、現在の自分が置かれている環境や気持ちを客観的に表現するため=「他人に伝えるため」に用いられるだけでなく、自分が置かれている不本意な状況を正当化するため、自分は間違っていないということを自分自身に言い聞かせるため=「自分が楽になるため」に用いられることもある。
風俗で働く未成年や家出少女、DV・性暴力の被害者など、当事者が言葉を発することが難しい領域では、「他人に伝えるため」ではなく「自分が楽になるため」の言葉がまず前面に出てくる。
当事者は、自分が楽になるために、現実を再帰的に物語として構成する。「自分は傷ついていない」「なんとも思っていない」・・・など、当事者が「自分が楽になるため」に事後的に編み出した解釈、事後的に生み出した言葉を、第三者が額面通り受け取ってしまうことは危うい。
時と場所によって、当事者の言葉は猫の目のように変わる。そうした不確かで流動的なものを、メディアやアクティビストが「当事者の声」として切り取り、印籠のように掲げて、社会に発信してしまうと、大きな誤解を呼ぶことになる。
「自分が楽になるため」の言葉を発する当事者は、被害者だけではない。加害者も同様である。「自分は悪くない」「むしろ被害者は自分だ」・・・など、加害者の頭の中は被害者意識で充満していることが少なくない。加害行為が強まれば強まるほど、本人は自らの被害者性の強調と自己正当化にいそしむようになる。
妻に暴力をふるう夫は、いかに自分が妻による精神的暴力の被害者であるかを雄弁に語る。ツイッターで攻撃的な言動を繰り返し、炎上を扇動している女性アカウントは、いかに自分が男性中心社会の被害者であるかを雄弁に語る。
雄弁な被害者と無言の加害者、両者は同一人物であることも少なくない。人は、被害者ポジションに立った瞬間に雄弁になり、加害者ポジションに追い込まれた瞬間に無言になる。
言葉が失われれば失われるほど、「被害者/加害者」の二元論ですべてが語られるようになり、誰もが被害者ポジションを獲得することを目指して、あるいは意見の異なる他者を加害者ポジションに追い込むことを目指して、争うようになる。「他人に伝わる」言葉が消え去り、お互いに「自分が楽になる言葉」だけをぶつけ合うようになる中で、不毛な争いは永遠に終わらない。
こうした状況を変えていくためには、失われた言葉を取り戻していくこと=「自分が楽になるため」の言葉だけではなく、「他人に伝わる」言葉を増やしていくことだ。
「他人に伝わる」言葉にすることによって、新たに生まれる問題もある。当事者へのスティグマ(負の烙印)が予期せぬ形で強化されてしまう場合もあるだろう。
しかし、全ての社会課題は、現場で起こっていることや当事者の声を「他人に伝わる」言葉にしていかなければ、理解も解決もできない。言葉にできない領域、言葉が失われた領域を放置しておくと、「自分が楽になるため」の言葉で覆いつくされるようになり、それらの言葉に踊らされる形で、新たな被害者や加害者が生み出されてしまう。
言葉の失われた世界の中で、「自分が楽になるため」の言葉だけではなく、「他人に伝わる」新たな言葉を作り出していきたい、という人は、ぜひ本書を読んでほしい。
『言葉を失ったあとで』筑摩書房
信田さよ子・上間陽子/著