2022/04/11
馬場紀衣 文筆家・ライター
『むらさきのスカートの女』
今村夏子/著
近所で「むらさきのスカートの女」と記号的に呼ばれる風変わりな女の話が淡々と穏やかな筆致で綴られていく。「もうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたい」と思っている「わたし」は彼女の生活を過剰なまでに観察し、覗き、やがて関与するようになっていく。二人の関係は、まるで分身のようだ。
仕事を探すむらさきのスカートの女を、「わたし」は観察している。女は面接に立て続けに失敗しているようだ。女の「髪はパサパサのボサボサ、爪は真っ黒」で、そんな状態では面接に受からないと考えた「わたし」は、シャンプーの試供品をビニール袋に入れて、むらさきのスカートの女が住んでいる部屋のドアノブにかけておいた。シャンプー効果があったのか、むらさきのスカートの女は「わたし」の職場で働くようになる。しかし数週間経っても、むらさきのスカートの女の頭からは、試供品のシャンプーの香りが漂っている。
「不思議な話のようだが、そのわけは至って簡単だ。じつは、先日、商店街のドラッグストアでシャンプーの詰め替えパックを購入しているむらさきのスカートの女の姿を目撃した。詰め替え用を買ったということは、すでに本体のボトルを購入済みということだ。よほどあの試供品を気に入ったらしい。」
またあるとき、公園でこんなことがあった。むらさきのスカートの女には、公園に専用のシートがある。公園の南側に三つ並んだベンチのうちの一番出入口にちかいベンチがそうで、「わたし」はいつもそのベンチの隣の隣に腰かけている。その日、むらさきのスカートの女は専用シートで「あー、と大きな口を開け、ガブリ、と」リンゴにかぶりついていた。やがて子どもたちがやってきて、むらさきのスカートの女と鬼ごっこをはじめた。
「その数分後、誰もいなくなった公園に、オレンジが一個、転がっていた。わたしは専用シートの下に落ちていたそれを拾い上げ、その場で皮ごとかぶりついた。ガブリ、ガブリ、と、先ほどのリンゴみたいに。一口目では果肉に届かなかったが、次第に甘酸っぱい果汁が口のなかに溢れ出てきた。わたしは夢中で食べた。見学していただけなのに、のどがからからに乾いていた。」
むらさきのスカートの女の生活を細部まで追いかけ、自身を「黄色いカーディガンの女」と呼ぶ「わたし」の行動はどこか異常だ。物語の終盤、「わたし」はいなくなったむらさきのスカートの女と入れ違うようにして専用シートに座り、かつてむらさきのスカートの女がそうしていたように、人気店のクリームパンを頬張る。
「わたし」はむらさきのスカートの女を見つめるばかりで、二人の女が交わることはほとんどない。やがて互いの存在が反転し、黄色いカーディガンの女がむらさきのスカートの女にとって代わるのだが、こうなると、どちらが異様なのかわからなくなってくる。
『むらさきのスカートの女』
今村夏子/著