2022/05/16
馬場紀衣 文筆家・ライター
『隠された悲鳴』英治出版
ユニティ・ダウ/著 三辺律子/翻訳
本書の著者であるユニティ・ダウはボツワナの現外務国際協力大臣であり、同国で女性初の最高裁判事でもある。これまで弁護士として女性や子どもに寄り添い、先住民、AIDS患者、LGBTなどの人権問題に対して先駆的な取り組みをしてきた。
ボツワナの伝統的な村で生まれた彼女は、法律さえ変えてみせた。著者がアメリカ人の男性と結婚した当時、ボツワナでは父親しか子どもに国籍を与えることができなかったが、これを不当だとして裁判を起こし、勝訴。現在、ボツワナでは母親も子どもに国籍を与えることが許されている。
まず著者の経歴を説明したのには理由がある。それは本書が、実際に起きた儀礼殺人事件をもとに書かれているからだ。「儀礼殺人」とは、「ある儀式にのっとって、人体の一部を得るために行われる殺人」のこと。因習の裏にあるのは女性蔑視と支配欲、そして権力闘争だ。
ある村で12歳の少女が行方不明になった。物語は、その村に赴任した若者が事件の真相に迫るというもの。被害者の母親をはじめ、少女の失踪を「儀礼殺人」と疑う村人、「ライオンに食われた」と早々に結論づけてしまう警察、政治家や実業家といった権力者など、本書には多くの人物が登場する。
少女の死の真相を説く鍵は、いまだ多くの人びとが信じている呪術の存在だ。殺人者は呪術的なパワーを得るために、儀礼にのっとって体の一部を「刈り取る」。殺人自体のむごたらしさを知れば、切断するでも分離するでもなく、刈り取るという言葉の強さに納得するはずだ。少女の死んでいく様子はあまりにも残酷だ。
「記録によれば、ネオが行方不明になったのは5年前だ。証人の供述から、村人たちは南部のアフリカ人の言うところのムティのために殺されたと信じているようだ。ツワナ語で言う、ディフェコのことだ。どこかの『偉い』男たちが仕事の成功や権力の座の維持のために、人間の体を『刈り取った』というのが、村人たちの考えだった。」
村人たちの呪術的なものへの信仰、それによってもたらされる暴力に読んでいて震えた。たとえば行方不明になった少女の母親、モトラツィはある時「女の問題」を専門にしているという呪術医のもとを訪れる。この呪術医は、性病を治癒したり、子宮の問題を解決してくれたりするらしい。母親が小屋に入ると、そこには裸の男がいて「自然に至るためには、自然の状態にならねばならない。服を脱ぎなさい」と迫ってくる。そこでモトラツィは考えるのだ「正しい診断がほしかったし、正しい治療をしてほしかった」「慎み深くしていたら、望みの結果を手に入れられないかもしれない」
文化や伝統がときに弱い立場にいる人びとを支配し、殺す理由にさえなってしまう。著者は本書を通して文化的慣行との対峙を訴えているが、同時に、古い慣習を変えることの難しさを痛感せずにはいられない。信仰、ジェンダーの役割、家族のかたち、国家など人権問題に挑むには課題が山積みだ。物語の終盤、あまりにもむなしい結末がそのすべてを物語っている。
『隠された悲鳴』英治出版
ユニティ・ダウ/著 三辺律子/翻訳