2022/12/21
三砂慶明 「読書室」主宰
『美しいってなんだろう?』世界思想社
矢萩多聞・つた/著
本書は、装丁家、矢萩多聞さんとその9歳の娘であるつたさんとの共著だ。
あるときふと、つたさんが口にした疑問、「美しいってなんだろう?」をきっかけに二人の人生が引き出されていく。
目次をひらくと、
「カトマンドゥ」「川」「壁」「皿」「庭」「果実」「墓」「文字」「石」「人」「火」「歌」「ことば」
という言葉がならんでいる。
美しいものを探して、二人はあてどない旅にでる。
二人の旅は、記憶の中のインドや、つたさんが生まれる前の矢萩さんが暮らしていた妙蓮寺など時間も空間も関係なく、自由自在だ。
二人が足をとめてじっと見つめるのは、いわゆる美しい非日常な空間や物ではなくて、むしろ、二人が過ごしてきた日常の世界そのものだ。
親子が並んで坐り、二人が美しいと感じたものを、それぞれの言葉でスケッチしていく。
決して急がないし、美しさとは何かを定義したりもしない。ただ傍らにいて、一緒に遊ぶ。ゆったりとした時間が流れている。
二人が描く「美しいもの」とは、多聞さんがいうように、
美しいものは、ときにはみにくく、ざんこくである。とりとめがなく、たよりなくもある。おしゃべりであり、無口でもある。若さであり、老いでもある。身近なところに隠れているのに、手をのばせばけむりのように消えてしまう。ことばにしたとたんに、まったくちがうものに変わりはてる。(5、6頁)
つまり、言い換えれば、それは二人が愛してやまないものだ。
だから、石や墓や果物や皿や壁といったものが、二人の対話に磨かれて、ページをめくるたびに光を放ちはじめる。
私がもっとも心を揺さぶられたのは、「ことば」の章だ。
私は矢萩多聞さんの『偶然の装丁家』(現在は絶版し、書き下ろしを加えた増補新版『本とはたらく』として再版)の読者だったので、そこに綴られていた家族の物語を知っていた。もっと具体的にいえば、多聞さんのお母さんのファンだった。
人は必ず死ぬ。でも、まさかあのお母さんが亡くなるとは思いもしなかった。多聞さんを育て、導き、世界への目を開かせ、常に支えてきた母を失った多聞さんのかなしみは想像することもできないが、私も激しく心を揺さぶられてしまった。
「ことば」には、淡々と亡くなったお母さんのことが綴られている。
印象的なのは、留守のときに多聞さんがわかるように残した最後の書き置きだ。
たもんへ おかえりなさい。今回は会えなくて残念です。お米は冷蔵庫に、おソバは棚にあるので食べてください。カウンターにあるインド国旗はたもん、ペンはつたちゃんたちへのプレゼントです(228頁)
会ったこともないお母さんの声が聞こえてくるような美しい文章だ。
これが最後になるとは、書いた本人も、受け取った多聞さんも、つたさんも誰一人想像していなかった。ありふれた日常のメモに、これ以上ない美しさが宿っている。
そして、お母さんに向けて捧げられたつたさんの文章にも心をうたれる。
美しいってなんだろう?
つたさんの問いからはじまった二人の旅は、生も死も超えて、時間すらも超えて広がっていく。本書を読むと、ありふれた日常の、ありえなさに驚き、ためいきをつく。とても美しい本だ。
『美しいってなんだろう?』世界思想社
矢萩多聞・つた/著