この本を読み始めてから最後まで、僕はずっと泣いていた。

長江貴士 元書店員

『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』小学館
石井光太/著

 

写真/Unsplash(Omar Lopez撮影)

 

あまりこういう表現は使いたくない。
けど、事実としてこう言う他ない。
読み始めてから最後まで、僕はずっと泣いていた。

 

マザー・テレサに次いで、「世界生命賞」の第二回受賞者として選ばれた菊田昇。1987年に新設された「特別養子縁組」の法制化の立役者である彼の人生は、宮城県の港町、石巻の遊郭から始まる。母親のツウが、金亀荘という繁盛店を切り盛りしていたのだ。遊女だった「アヤ姉」「カヤ姉」に育てられた昇は、遊郭という「圧倒的に間違っている環境」で、「圧倒的に間違っている現実」を目の当たりにしつつ、母親や遊女たちへの曰く言い難い感情を持て余しながら医師を目指す。

 

東北帝国大学医学専門部を卒業し、産婦人科医となった彼は、初めて「出産が祝福される環境」に身を置くことになり、その喜びもあって休みも取らずに働きに働いた。患者からもスタッフからも信頼され、理解のある妻にも恵まれた。
しかし。産婦人科医として避けては通れないものがあった。中絶だ。

 

当時まだ、妊娠七ヶ月でも中絶が認められていた。すると時折、中絶させても息をして産声を上げてしまうことがある。未熟児であり、延命処置をしても数日から数週間しか生きられない。そもそも出生届を出せば、中絶を望んだ妊婦の戸籍を汚してしまう。

 

だからそういう場合、産婦人科医は生まれたばかりの赤ん坊を殺した。これは当時、暗黙の了解として当たり前に行われていた。菊田も、ついにその日が来てしまったと、覚悟して赤ん坊を殺めた。しかし、二度とこんなことはしたくないと決意。彼は、法律を犯すことを承知の上で、望まれず生まれてしまった赤ん坊を、不妊治療が上手くいかない夫婦に斡旋する活動を、医院ぐるみで行うことに決める。

 

失敗も重ねつつ、順調に斡旋を続けていたが、ある時どうしても引き取り手を見つけられず、菊田はやむにやまれず、新聞広告を出すことにした。

 

”急告”
生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子と
して育てる方を求む 菊田産婦人科

 

当然、この広告は世間を騒がせた。新聞記者もやってきた。彼は、犯罪行為を包み隠さず打ち明けた上で、「七ヶ月以上の中絶禁止」と「産みの母親の戸籍に残らない形で養子に出せる特例法の設置」を求めた。地元医師会、活動家、検察、国会、テレビ、新聞を巻き込む一大騒動となったが、彼の信念は揺るがなかった。

 

法を犯しているが、自分は正しい。間違っているのは、法だ。

 

彼の告発は、多くの仲間・協力者を生み、多くの敵を生んだ。医師としての活動が制約されるかもしれない、という瀬戸際まで追い詰められながらも、彼は赤ん坊の命を守るために全力で奮闘し、ついに国を動かしたのだ。

 

菊田昇は確かに凄い。彼がいなければ、今も「特別養子縁組」の制度は存在しなかったかもしれない。しかし同時に、彼の周りにいる人間も凄い。明らかに法律を破っている菊田に、それでもついていくと表明することは、とても勇気の要ることだ。そんな人間が、菊田の周りにはわんさかいた。

 

たぶんその事実こそが、「菊田昇」という人間の真の価値なのだと思う。

 

『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』小学館
石井光太/著

この記事を書いた人

長江貴士

-nagae-takashi-

元書店員

1983年静岡県生まれ。大学中退後、10年近く神奈川の書店でフリーターとして過ごし、2015年さわや書店入社。2016年、文庫本(清水潔『殺人犯はそこにいる』)の表紙をオリジナルのカバーで覆って販売した「文庫X」を企画。2017年、初の著書『書店員X「常識」に殺されない生き方』を出版。2019年、さわや書店を退社。現在、出版取次勤務。 「本がすき。」のサイトで、「非属の才能」の全文無料公開に関わらせていただきました。

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