社会と関わらなければ、特に困らず過ごせる自閉症の子もいる―自閉症とは(6)
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

 

もっとも、劇的な回避策があるにはあって、それが「4.症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている」の部分である。自閉症はインタフェースの障害だと何回も繰り返してきた。自閉症で最も困るのは、自分と世間一般の感じ方、見え方、捉え方がかけ離れているので、社会の中でめんどうくさい異物だと思われる点である。

 

言葉を換えれば、社会と関わらなければ、特に困ったことがなく過ごせてしまう自閉症の子もいるのである。変な儀式を持っていても、人と違うポイントで笑ったり興奮したりしても、他者との共感能力に乏しくても、一人で生きている分には痛痒を感じない。

 

本居宣長が自閉症的な症状をすでに把握していて、彼らは職人として能力を発揮するのだと記している文献に触れたことがあるが、その真偽はともかくとして、たとえば昔気質の職人としてあまり人とかかわらずに生きていけるのであれば、自閉症が障害ではなくなる可能性がある。自閉症は単体では成立しないのだ。ここまで述べてきた何らかの特性があって、それによってどうしても社会と上手く関われない、学業・職業に就くことが困難であるその状態が自閉症なのである。

 

だから、一般論としてとても濃い自閉症の子、たとえば2時間ほどの儀式をしないと食事が始められないとか、人の言葉を額面通りに受け取ってしまって日常生活で必ず接する修辞術がまったく使えないとかいう症状を持っていたとしても、大金持ちでまったく社会と接する必要なく生きていけるのであれば、その子は自閉症ではないかもしれない。

 

ただ、社会構造の変化で、世の中ではますますコミュニケーション能力が重要視される傾向が強まっているし、日本は人に同質化・均一性を要求する国なので(多様性、ダイバシティの必要性が説かれており、就職説明会などでもいかにそれを重視しているかが力説されるが、企業が実際に欲しがっているのは未だに枠からはみ出ず、上長に逆らったりしないいい子なので、その二律背反に定型発達の学生たちも苦労するほどだ)、自閉症には厳しい環境であると考えたほうがいいだろう。いっそ、「ちょっと変わったことをする子」に対する受容度、許容度が高い国、社会に移住すれば、その子は自閉症とは認識されなくなるかもしれない。

 

私の分野でいうリスク回避というやつで、社会と自分の関係に障害があり、自分が変わる度合いに限界があるならば社会の方を変えてしまえ、と発想するわけである。副作用も大きいというか、行った先で別のリスクが増大するかもしれないし、誰でも実行できる解決策ではないが、考え方としては成立する。

 

あとは本人の認識の問題もある。たとえばぼくの子は明らかに学校で先生やクラスの子たちとうまくやれていないのだが、本人がそのギャップをなんとも思っていないので、学校に行くときはいつもにこにこしている。いずれ何らかの形でトラブルが表面化していくだろうが、少なくとも今の段階ではぼくより人生を楽しんでいることは請け合いである。そういうふうに「障害」の状態を回避している子も、実はけっこういる。

大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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