BW_machida
2020/10/14
BW_machida
2020/10/14
大学在学中から「月刊カドカワ」編集部に入るまでの数年間、私は新宿・歌舞伎町によく通った。1980年代後半――のジャズ喫茶「木馬」や、さくら通りのジャズ・バー「ロッキンチェア」に出入りし、そこでアルバイトをしていた時期もある。
所属していたジャズサークルは<スイングジャズ研究会>だったが、私にはモダンジャズのレコードをたくさん聴く必要があった。誰に強制されるわけでもなかったけれど、バンドにいると先輩たちから自分の知らぬミュージシャンの名前がいろいろと耳に入る。彼らが個々にどういう音楽をやる人であるかはもちろん、彼らの人物像やジャズ史の変遷などについて勉強せねばならないという雰囲気が、当時のジャズ研にはあった。というか、私が勝手に先輩たちのトークからそう嗅ぎとって、ジャズに無知な自分を恥じていたのであるが、これは私にとって幸運な、ジャズとの出会いだったと思う。おかげで私はさまざまなレコードをこの時期に聴いた。
自分ではそんなにたくさん買えないので、コーヒー一杯でいろんなレコードを聴くことができるジャズ喫茶に通った。
ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンテストで「優秀ソリスト賞」を受賞したドラマーのOBは、神保町のジャズ喫茶「響(ひびき)」に連日通い、レコードを聴きまくっていた――という話がバンド内で伝説になっており、自分も真似してみようと思った。
一枚ごとに掲げられるアルバムジャケットがよく見える席に座り、曲を聴きながらタイトルやレコーディング・メンバーをメモした。そうした作品の一つひとつが、私の体内でつながっていくのはもっと時間が経ってからのことで、はたち前後の当時はよくわかっていないのだが、ジャズ喫茶に費やした時間は、のちの私をいろんな場面で助けてくれた。
「私の選んだアルバム、この一枚」のようなページを新人編集者時代に担当した話は、『バブル』の第6章に書いた。
アーティストにインタビューして書くときに、ジャズは役立った。もちろん、取材を受けてくださる方がみんなジャズのアルバムを挙げるわけではないけれど、ある一つのジャンルを続けていたことで、誰とでも音楽の話ができた。一つ詳しければ、応用がきくのである。
「木馬」でアルバイトをしていたとき、コーヒーには二種類あると教わった。
ブレンドとアメリカン、その二つの違いはコーヒーの濃さであるという。
お客様にアメリカンを出すときは、ブレンドをまずコーヒーカップに半分入れて、そこにお湯を注いで二倍に割る。それを「はい、アメリカンコーヒーです」と言って出していた。そんなことをやる喫茶店などもう日本中どこを探してもないと思うのだが、あの薄苦く不味いコーヒーが、いまとなっては懐かしい。
「ロッキンチェア」には面白い人がたくさんいた。従業員のほとんどが、劇団員だった。のちの私――も、2009年に会社をやめたあと、秦建日子さんの劇団「秦組」に参加し(役者ではなく演奏者として)一時期、劇団員を経験するので、「ロッキンチェア」のことはその話を書く機会に、あらためてご紹介させていただこうと思う。
『バブル』
山口ミルコ / 著
illustration:飯田淳
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