BW_machida
2020/07/23
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2020/07/23
この年の夏は、春に引き続き興南が投打で圧倒した。エース島袋は春から夏の間にフォークを取得し、体力面でもレベルアップ。打撃陣もトップバッターの国吉大陸、主将我如古を中心に強打の打線を形成した。
この世代は、スタメンの9人中7人が3割を超える強力打線であり、4割を超える打者も5人いた。下記が2010年夏の甲子園における興南打線の成績である。
4国吉大陸 打率 .560 3打点 1本塁打
8慶田城 開 打率.579 10打点
5我如古盛次 打率.480 8打点 1本塁打
3真栄平大輝 打率.200 2打点
9銘苅圭介 打率.417 5打点
2山川大輔 打率.360 2打点
7伊礼伸也 打率.348 6打点 1本塁打
1島袋洋奨 打率.286 4打点
6大城滉二 打率.421 5打点
春の大会は投手力や守備力重視になるため、島袋頼みな部分があったが、夏は打線も完成度も高く、準々決勝までに明徳義塾や仙台育英といった名の通った学校を下し、順当に勝ち上がった。その後、準々決勝の聖光学院戦は3点差、準決勝の報徳学園戦では島袋が序盤に5点のリードを許す展開だったが、持ち前の打力で覆して逆転勝利した。
特に報徳学園戦は甲子園の地元兵庫ということもあり、球場の報徳に対する後押しが凄かったのは間違いない。しかし、この世代の興南は5点差をつけられていても「余裕」があった。報徳学園の試合運びも悪くなかったが、地力の差で興南が上回る形になった。
この夏の興南の完成度は、歴代的に見ても間違いなくトップクラスだった。センバツの決勝で強打の日大三に競り勝ち優勝を果たしてから一気に伸びていき、県予選の決勝では春季大会優勝を飾っていた糸満の宮國椋丞を難なく打ち崩すなど、文句なしの強さを誇っていた。
監督である我喜屋氏も「センバツにピークに達した高校は夏に甲子園へ戻れない。」という言葉を残しており、その通りの進化を見せつけた。
プロ野球選手の輩出という観点では、当時唯一の2年生でレギュラーを張っていたオリックスの大城滉二しか結果的に出てこなかったが、「高校野球」としての完成度の高さは史上でも随一である。
準優勝の東海大相模は多くのプロ選手を輩出
東海大相模はエース一二三慎太をはじめ、その後巨人へ入団した大城卓三や田中俊太、中日の渡辺勝、ロッテの菅野剛士と言った選手を擁して準優勝に輝いた。
興南とはまた違う形で決勝に進んだが、東海大相模は勝ち進むにつれて強くなっていくチームであった。
決勝では実力の差がスコアに出てしまったが、選手のポテンシャルやメンバー構成は準優勝に相応しく、3番に座っていた田中俊太を中心にチームを形成していったことが、後に2011年センバツの優勝に繋がったのではないだろうか。
この世代にはあの選手がいた
興南の圧倒的な強さや多くのプロ野球選手を輩出した東海大相模が目立つ者の、その裏側では、現在プロ野球で活躍する選手の多くが甲子園に出場していた。
3度のトリプルスリーを達成したヤクルトの山田哲人は履正社に属して甲子園に出場。大会では、3回戦で本塁打も記録するなどの活躍を見せた。また、センバツと同様に北海道日本ハムの有原航平とオリックスの福田周平は広陵に属して出場し、阪神の糸原健斗も開星のレギュラーとして出場していた。加えて、日本ハムの西川遥輝も出場した大会であった。
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