ryomiyagi
2020/06/04
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2020/06/04
「若大将」と称された原辰徳氏は第一次政権の1年目(2002年)から、若手選手を積極的に起用するなどしてリーグ優勝、日本一を成し遂げた。キャッチフレーズも「ジャイアンツ愛」であった。
開幕から調子が良かった阪神を追いかける形となったが、日韓W杯の影響で変則日程が始まった6月から首位に立ち、そのまま独走をしたシーズンであった。
原氏の手腕として就任当初から光っていたのは、自ら見出した若手や中堅の選手を積極的に起用していく采配や運用力である。これまで対左投手の先発試合ではスタメン機会に恵まれていなかった清水隆行を1番に抜擢。清水は200安打に迫る191安打をはじめとした打率.314 14本 58打点 OPS.788の成績を残し、日本シリーズでも松坂大輔から先制ホームランを放つなどの活躍を見せた。阿部慎之助も2年目ながら正捕手となり、打率.298 18本 73打点 OPS.854と活躍した。
また、中軸であった清原和博の離脱による穴を埋めたのが、斉藤宜之であった。2002年のシーズンが始まるまでは、キャリアハイでもシーズン100試合以下の出場だったが、原氏の抜擢によりブレイク。打率.310 5本 37打点 OPS.774の活躍で、後半戦はチームを引っ張る存在にもなった。そして、万年怪我に悩まされていた河原純一を、先発から抑えに回したこともマッチした。
その他の選手を挙げると、巨人が非常に苦労していた井川慶に相性が良く、「井川キラー」と称されていた福井敬治や宮崎一彰、鈴木尚広と言った足が活かせる選手が起用に応える活躍を見せた。
翌年の2003年は3位に終わったものの、2002年に台頭を見せた斉藤宜や鈴木尚と言った選手が100試合以上出場した。
原氏は2003年に監督の座を退いたが、2005年,
2007年は、開幕から内海哲也と高橋尚成、木佐貫洋をはじめとした先発陣や、復活を遂げた高橋由伸、新加入の谷佳知、小笠原道大らの活躍で好調なスタートを切った。また、豊田清の不振などから中継ぎ・抑えに不安があったが、故障で出遅れていたエースの上原浩治を抑えに回す策で不安定だった救援陣の立て直しに成功し、リーグ優勝に輝いた。
上原はこのシーズンのキャリアを活かし、その後メジャーでは中継ぎ・抑えで活躍した。
2008年は開幕5連敗から始まり、7月までは阪神に独走を許す形となった。この期間、野手では怪我などで離脱した二岡智宏の穴を埋める形で坂本勇人がフル出場(144試合 打率.257 8本 43打点 OPS.650)。鈴木尚広も台頭(打率.304 3本 17打点 30盗塁 OPS.763)した。投手では、この年の新人王に輝くことになる山口鉄也(67試合 11勝2敗 23H 防御率2.32)や越智大祐(68試合 3勝3敗 10H 防御率2.40)をはじめとした若手の積極的な起用やそれに応える台頭もあり、戦力アップしていった。結果、一時は阪神と13ゲーム差があったが、逆転優勝を成し遂げた。
2009年は上述の坂本、山口、越智に加えて、松本哲也やWBCにも選出された亀井善行の5番打者としての起用も光った。松本は打率.293 0本 15打点 16盗塁 OPS.665の打撃成績を残し、守備面でもゴールデングラブ賞を獲得して、新人王に輝いた。亀井も打率.290 25本 71打点 12盗塁 OPS.864の活躍の打撃成績やこちらもゴールデングラブ賞を獲得する守備力で攻守に貢献した。
2007〜2009年の3シーズンは、小笠原、ラミレス、阿部と言った主軸の安定した活躍や代打の切り札大道典良や代走の切り札鈴木の力で勝利を掴み取り、一方で坂本と山口をはじめとした若手の育成を行なった。その結果、投打ともに勝利×育成が上手く噛み合い、リーグ3連覇と日本一を成し遂げた。
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