ryomiyagi
2020/06/08
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2020/06/08
阿部慎之助がキャリアの全盛期を迎えていた時期は、2009年〜2013年だっただろう。
2010年代で見ると、2010年は10年連続二桁本塁打や、野村克也や田淵幸一に続く歴代捕手では3人目となるシーズン40本塁打(44本)を達成した。シーズンを通して、打率.281 44本 92打点 OPS.976の成績を残し、チームメイトであるアレックス・ラミレスや阪神のクレイグ・ブラゼルと本塁打王争いを繰り広げた。個人的に印象深い場面は、広島戦の40号となる本塁打を放ったシーンである。また、守備面では守備率.999、盗塁阻止率.371の成績を残し、セリーグ1位を記録した。
阿部の40号ホームラン
阿部慎之助引退か…
阿部慎之助と言えばこの本塁打が一番すごかったし一番リアルタイムで見ていた時だったから印象強かった
今年も代打の切り札や終盤は5番として復活して頼もしかったな
阿部の現役最後の花道として巨人軍を日本一にさせたいなとりあえずお疲れ様でした#阿部慎之助はなぜ神なのか pic.twitter.com/oGVBk6g9YB
— ゴジキ (@godziki_55) September 23, 2019
2011年は、練習試合でふくらはぎの怪我をしたため出遅れ、規定打席に僅かながら到達しなかったものの、リーグ4位の20本塁打を記録し、統一球に対応したシーズンであった。
2012年は、キャリアハイを記録したシーズンであった。月間MVPは6月、8月〜9月の3度獲得。打率は捕手としてシーズン歴代最高(.3404)を記録して、文句なしの首位打者に。打点もキャリア最高となる104打点を記録し、打点王を獲得して二冠を達成した。
リード面でも投手陣を支えて、チーム防御率2.16を記録した。原辰徳監督の「(阿部)慎之助のチーム」のコメント通り攻守に渡り大きく貢献し、交流戦優勝をはじめ、リーグ優勝と日本一、クライマックスシリーズ制覇、アジアシリーズ制覇の5冠に導いた。
2013年は、シーズン前に第3回WBCの日本代表として、主将・4番・正捕手の三役を兼任した大会であった。オランダ戦の2本塁打を含む、チーム最多タイの7打点の活躍で準決勝進出に大きく貢献した。
シーズンでは、2010年以来の30本塁打以上を記録するなど、本塁打と打点はリーグ3位の成績を記録し、2連覇に貢献した。守備面でも、守備率.999を記録し、ゴールデングラブ賞を獲得した。
しかし、疲労の影響でシーズン終盤に帯状疱疹を患うなどでポストシーズンは調子を落とした。
2010年前半は、毎年リーグトップクラスの打撃成績を残しつつ、リード面で巨人の投手陣や日本代表の投手陣を引っ張っていった。これまでは守備の負担を考慮した上で、主に下位打線に座っていたが、2010年からはクリーンアップを担い、打撃タイトルも獲得するなど攻守に渡り、リーグ連覇や日本一に貢献した。
2014年は、前年のポストシーズンから見えていた衰えの兆候がそのまま結果に反映された。シーズン途中からは一塁手を守る機会も増えた。また、首の故障にも悩まされた。シーズンを通して、なかなか調子が上がらないながらも、捕手として5人目の通算1000打点を達成した。
2015年からは正式に、捕手から一塁手へとコンバートした。チーム内の事情で捕手に戻った時期もあったが、ファウルチップで首の痛みが悪化して登録抹消した。シーズン通しても、打率.242 15本 47打点 OPS.784の成績で、前のシーズンよりもさらに成績を落として不完全燃焼に終わった。
2016年はオープン戦で肩に違和感を覚えて登録抹消され、開幕は二軍スタートだった。一軍昇格後は、調子を上げていき、規定打席には届かなかったものの、自己最長連続安打となる23試合連続安打を含む打率.310 12本塁打 52打点 OPS.850の成績を残し、打撃面で復活の兆しを見せた。
2017年は開幕から好調なスタートを切った。また、史上49人目の2000本安打を達成した。8月は調子を上げたものの、9月以降は調子を下げた結果となった。内野手登録となってから初めて規定打席に到達し、打率は.262 15本 76打点 OPS.718を記録した。
2018年は、キャンプ〜オープン戦を通して、岡本和真とレギュラー争いをしたが、岡本が好成績を残したことによって、レギュラーを譲る形となった。スタメン機会が減ったものの、随所で活躍を見せて、18年連続二桁本塁打を記録した。
現役最終年の2019年のシーズンは、開幕から代打の切り札として、また、休み休みで5番として活躍した。6月1日の中日戦では史上19人目となる400本塁打を達成した。これは歴代捕手では野村克也、田淵幸一以来、史上3人目の快挙であった。さらに、捕手で通算1000試合出場、通算2000本安打を達成しての通算400本塁打は野村に次いで2人目だった。
打撃成績は、打率.297 7本 27打点 OPS.892を記録し、リーグ優勝に貢献。引退試合では自ら花を添える本塁打を放った。
通算400本塁打
阿部神之助400号#阿部慎之助はなぜ神なのか pic.twitter.com/icPGxwMFvj
— ゴジキ (@godziki_55) June 1, 2019
阿部はキャリアを通して巨人における歴代最高捕手である。さらに、日本プロ野球史上においても、2010年代のプロ野球界で最高の捕手だったのは間違いない。特に、2010年〜2013年は40本塁打や主要タイトル獲得、代表の4番など八面六臂の活躍をみせた。捕手というポジションも関係ない、圧倒的な打力があったからだろう。
若手の頃は、打撃型捕手のイメージが強すぎるがために守備面で酷評される機会が多かったが、原辰徳第二次政権に入ってからはリードやフレーミングなどの守備面においても成熟し、正捕手として6度のリーグ優勝に貢献した。
阿部の影響力は非常に大きく、巨人において彼以降の捕手は小林誠司を含めて求められるハードルが高くなりすぎ、苦労する部分は多々あると思われる。それも踏まえて、昨シーズンの小林、大城卓三、炭谷銀次朗の捕手3人体制の運用方法の改善や選手個人の実力向上によってカバーしていくことが重要になっていくだろう。
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