ryomiyagi
2020/06/05
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2020/06/05
2007年~2009年の3連覇後の2010年、2011年シーズンは優勝を逃したが、これまで燻っていた西村健太朗が成長し、2010年のルーキー長野久義、2011年のルーキー澤村拓一と言ったドラフト1位選手が着実に結果を残した。そう言った意味合いでもこの2シーズンは、2012〜2014年の3連覇を達成する期間に対して、土台を作ったと言っても過言ではないだろう。
そして2012〜2014年は、スコット・マシソン、山口鉄也、西村の勝ちパターンである「スコット鉄太朗」を確立し、接戦試合に強いチームを作り上げた。野手陣も、2012年は右の代打矢野謙次、左の代打石井義人を起用し、接戦試合で塁に出たら鈴木尚広を投入してプレッシャーをかけていく場面が目立った。
若手の育成面では、2013年は中井大介が夏場に台頭し、2014年は橋本到が開幕スタメンを勝ち取るなどの活躍を見せた。
また、投手陣でも宮國椋丞が2012年に先発ローテーションに入り、2013年は開幕投手を務めた。2007〜2009年に実績のある小笠原、ラミレス、グライシンガー、クルーンの力で要所を抑えつつも阿部、坂本、亀井、長野、山口といった若手選手を成長させてきのと同様、今度は実績のある阿部、坂本、長野、村田、内海、杉内を土台として勝ち星を増やしつつ、余裕がある時期や試合展開に若手選手である宮國、中井、橋本と言った選手に実戦経験を積ませた上で、結果という形で自信をつけさせていった。
2014年には打線が低迷したもののディフェンス力や、こうした長年培ってきた運用力、要所での采配力で接戦をモノにしていた。
だが2015年には長期政権の欠点が浮き彫りになった。実績のある選手の怪我や衰えを以前のようには若手の成長でカバーできなくなったことにより、勝ち星のペースが年を重ねるごとに落ちていったのである。第二の坂本や山口のような存在がなかなか出てこなかったことや、選手の成長スピードの遅さが顕著に現れた。そしてこの年、原監督は第二次政権に終わりを告げた。
そして昨年の2019年シーズンから原第三次政権が始まった。
シーズンオフには2年連続セリーグMVPの丸佳浩を獲得し、かつての「小笠原・ラミレス」や「長野・坂本・阿部」のようにチームの土台となるコア選手を「丸・坂本・岡本」で確立させた。実際、この3選手だけで、100本近い本塁打数(98本)を記録した。
他にも良い意味での誤算としては、吉川尚輝の離脱後に亀井がシーズン通して1番打者で活躍し、前年モチベーションが低下していたアレックス・ゲレーロも夏場から本塁打を量産した点があげられる。この起用法によって、吉川尚の穴を埋めるための二塁手の運用や捕手の運用にも良い影響を与えた。
また、第二次権時代に鈴木尚広という代走のスペシャリストを擁して接戦の試合をモノにしていたように今度は増田大輝が足でプレッシャーをかけたことによって、相手投手陣を打ち崩した。特に、CSでは接戦の終盤に本塁打が生まれてそのまま試合終了という展開もよく見られたので、「プレッシャーをかけられる走者」と「一発や長打を打てる打者」を伴奏していくような「大技小技の融合」の攻撃パターンが随所に見られた。
投手陣では、エース菅野智之の不調を山口俊が埋める形となった。また、2007年に上原浩治を抑えに回したように、田口麗斗や大竹寛、澤村と言った先発ローテーションクラスの投手を中継ぎに回したことによって、先発登板では出し切れていなかった出力の高さや投球術を披露。抑え不在やマシソンの衰えなどでシーズン前に囁かれていた救援陣の不安を解消した。
原辰徳氏の第一次〜第三次政権を見ると、投打ともに実績のある選手で勝ち星を重ね、将来への投資として若手育成も進める姿が目立っていた。懸念材料としては、実績のある選手が高齢化した際に若手選手の育成が追いつかない点である。
最近になって岡本というスター候補こそ出てきたが、坂本、長野、澤村、菅野、山口ら「実績組」の独り立ち以降、大田泰示をはじめとした中井、橋本、宮國と言った選手が(短期的な活躍は見られたが)、なかなか思うようには伸びなかった。
この原因としては、現在の大田泰示の伸び伸びした姿に象徴されるような「巨人軍」というブランドからのプレッシャーもあるが、選手個人の耐久性にも問題があるだろう。特に、独り立ちした選手に限っては、大きな怪我がなく、規定打席にも立っていることからパフォーマンスの持続性も感じられた。今後は、若手選手に対して「怪我をしない」才能を見出していくことはもちろんのこと、怪我をしない育成方針の確立も必要になっていくだろう。
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