BW_machida
2020/07/24
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2020/07/24
2011年の春のセンバツは、開催直前に東日本大震災が起きた影響で、計画停電などを考慮した上での省エネルギー対策が実施された。可能な限りナイターでの開催を避けるため、第1日の第1試合の開催を当初の午前10:20開始から20分繰り上げて10:00開始、第2試合と第3試合も予定開始時間を20分繰り上げて、12:30と15:00の開始予定に。加えて試合中の攻守交替や試合前練習と言ったインターバルも極力短縮した。
さらに、入場収入の一部、球場内に設置する募金箱の収益を東北大震災被災者義援金へ贈呈したり、毎日新聞大阪社会事業団を通じて募金が贈られたりした。また、震災によって観戦できなくなった前売り入場券購入者に対しては手数料なしで払い戻しを行った。応援も楽器類の鳴り物入り応援は全面禁止となった。
そういった策も取りつつ、大会は無事に全日程を終了した。開幕前から最善手を打ち続け、多少のリスクを背負ってでも大会の開催に向けた高野連の動きは非常に素晴らしいものがあった。
2010年夏の準Vメンバーを中心にセンバツ制覇した東海大相模
大会は東海大相模が2010年夏の準優勝のメンバーを中心に順当な勝ち上がりを見せ、制覇した。優勝メンバーには、巨人の田中俊太、ロッテの菅野剛士、中日の渡辺勝といった、後にプロ入りした選手もいた。
チームとして見ると、準決勝の履正社戦では1試合2本の満塁ホームランを放ち、大会通算塁打(113塁打)、大会通算安打(74安打)といった新記録を残した。大会を通じて余裕のある展開や点差で勝ち上がり、危なげない試合展開をして優勝を果たした。
準優勝をした九州国際大附属高校は、高城俊人と三好匠選手ともに本塁打を放つなどの猛打で決勝進出を果たした。また、高城は8打数連続安打という大会タイ記録も達成した。
初戦から繰り広げられた「東の横綱」日大三対「試合巧者」明徳義塾
初戦から大会屈指の好カードとなった日大三対明徳義塾だが、前評判通りのハイレベルな試合となった。
日大三は前年度センバツ準優勝のメンバーが主軸となり、明治神宮大会優勝を果たし、この甲子園に帰ってきたが、軸となるエース吉永健太朗をはじめ、高山俊、横尾俊健、畔上翔といったメンバーは盤石であった。
対する明徳義塾も明治神宮大会に出場するなど、実力は充分である。明徳義塾は吉永に球数を投げさせる戦法で試合を進めていき、中盤まで優位に試合を進めていった。
しかし、それを上回ったのが日大三の打力だった。6回、7回、8回に得点して逆転に成功して、吉永が189球を投げながらも勝利した。
2011年の春は関東の高校が躍進
この年のセンバツでは、優勝した東海大相模やベスト4の日大三といった関東の高校が強さを見せていた。
明治神宮大会では日大三が優勝し、センバツでは東海大相模が優勝。2010年の沖縄・興南一強状態から一転し、関東の強豪が勝ち進んだ年となった。
東海大相模と日大三の共通点は、2010年の春夏の決勝で興南に破れていること、その年のメンバーが中心となりチームを形成していることである。2010年の時点で、日大三は4番を任せられていた横尾、東海大相模は3番を任せられていた田中俊太といった、既に中軸を任せられる打者もいた。
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