落語は「演目」ではなく「演者」を聴きに行く芸能【第40回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

2008年に出版されたアスペクト版『この落語家を聴け!』(全328ページ/四六判)の内容は以下のとおりだ。

 

【前口上】「現在進行形」の落語を聴こう

【第一章】この落語家を聴け!

1:20世紀から21世紀へ

2:談志と小三治

(1)立川談志(2)柳家小三治

3:立川流四天王

(1)談志の遺伝子を継ぐ四人の落語家(2)立川志の輔(3)立川談春(4)立川志らく(5)立川談笑

4:いま、観ておきたい噺家達

(1)面白い落語家が増えてきた!(2)柳亭市馬(3)柳家喬太郎(4)古今亭志ん輔(5)柳家喜多八(6)橘家文左衛門(7)三遊亭白鳥(8)林家彦いち(9)桃月庵白酒(10)柳家三三(11)三遊亭歌武蔵(12)瀧川鯉昇(13)古今亭菊之丞(14)入船亭扇辰(15)柳家一琴(16)橘家圓太郎と五明楼玉の輔(17)その他の「いま、観ておきたい噺家達」(三遊亭遊雀、鈴々舎わか馬、春風亭百栄ほか)

【第二章】21世紀の落語界

1:21世紀の人気者達

(1)春風亭昇太(2)林家たい平(3)春風亭小朝(4)柳家花緑(5)笑福亭鶴瓶

2:21世紀の寄席

(1)寄席は噺家目当てで行こう!(2)柳家さん喬(3)柳家権太楼(4)入船亭扇遊(5)その他の寄席の噺家達(春風亭一朝、古今亭志ん五、五街道雲助、林家正雀、柳亭燕路ほか多数)

3:立川流と圓楽党

(1)立川流の落語家達(左談次、談四楼、談幸、生志ほか)

(2)圓楽党の落語家達(鳳楽)

【終章】落語は「今が旬」なエンターテインメント

 

漠然と「落語ブーム」と捉えられていた現象をわかりやすく解き明かし、そのブームを生み出した魅力的な落語家たちについて具体的に論じたこの本は、この時期、最も必要とされていた本だった。それだけに反響も大きく、初版4,000部が発売後2週間で重版決定。新聞・雑誌・テレビなどマスコミでも好意的に取り上げてくれたおかげで順調に版を重ね、最終的には七刷まで行った。「落語」という狭いジャンルを扱った本としてはヒットと言っていいだろう。

 

僕としてはシンプルに「便利な落語家ガイド本」を書いたつもりだったし、実際その用途で活用してもらえた自負はあるけれども、「21世紀落語史」という観点で捉えると、『この落語家を聴け!』は、人々の落語に対する「意識改革」をもたらす、大きな「事件」だった。(僕が言うと手前味噌に聞こえるが、仕方ない)

 

『この落語家を聴け!』の根幹にあるのは、「落語はエンターテインメントの一種である」という、当たり前の認識だ。だが、それは世の多くの人々にとっては「当たり前」ではなかった。

 

当時、落語通を自負する人々は彼ら独自の美意識で「落語はこうあるべき」という固定概念を持っていて、ともすれば過去の名人ばかり礼賛するきらいがあった。一方で落語に詳しくない人々は、落語に「面白いもの」と「つまらないもの」があるとは思わず、漠然と「型に嵌まった古典芸能」として捉え、たまたま「鑑賞」した落語が面白くなければ「落語なんてどこがいいのかわからない」と敬遠してしまう。

 

だが『この落語家を聴け!』は「現代には面白い落語家が大勢いるのだから、過去の名人の音源など後回しにして目の前の演者を追いかけろ。落語は同時代の観客に語りかける芸能なのだ」と主張しつつ「聴いた落語が面白くなければ、その落語家が面白くないということ。面白い演者を選んで聴きに行けばいい」と断言した。

 

落語は大衆芸能であり同時代人のためのエンターテインメント。「古典芸能」などと殊更にありがたがる必要はない。映画にも演劇にも漫画にも音楽にも駄作があるように、つまらない落語家はいっぱいいる。大衆は「面白いもの」だけを選べばいい。同じ噺でも演者によってまったく違う。落語は「演目」ではなく「演者」を聴きに行く芸能なのだ……。

 

こうした僕の主張にカチンと来た人もいたようだが、多くの人々にとっては「目からウロコ」だったと思う。

 

僕が『この落語家を聴け!』で実践したのは、他のエンタメでは当たり前に行なわれていること。世のエンタメ好きな人々は、そこに気づいたのだと思う。なまじ「保守的な落語観」に染まっていない分、「ああ、そうやって聴けばいいんだ」と、落語に対してより気軽に接することができるようになったのではないだろうか。

 

ついでに言うと、今となっては忘れられがちだが『この落語家を聴け!』は、一部に根強く存在した「アンチ談志」の風潮を完全に過去のものとし、それまで何となく存在した「立川流タブー」みたいなものを消し去った。その意味でも影響力は大きかったと言えるだろう。

 

それを実感したのは、2011年に『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)を出したときだ。僕は同書で「アンチ談志の風潮が客観的な落語評論を阻害した」ことに触れたのだが、青木るえかさんというライターがどこかの書評で「どこにアンチがいるんだ、あんなにみんなが談志を褒めちぎってるのに」みたいなことを書いていたのである。小バカにしたような書き方だったが、僕は嬉しかった。今の人には「アンチ談志」なんてあり得ないことなんだ、そういう世の中になったんだ……と。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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