女性落語家の活躍【第77回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

二ツ目が元気な時代の到来と共に目立ってきたのが若手の女性落語家の活躍だ。

 

とはいっても、女性落語家の絶対数は少ない。大学の落研には上手くて面白い女子が大勢いるのに、彼女らはほとんどプロを目指さない。2019年9月の時点で東京にいる女性落語家は「真打&二ツ目」で25人。その他に前座が6人、人数が把握できない「見習い」も数人いるはずだが、そんな程度だ。東京の落語家全体の数は約600人と言われる中での30数名だから、男性に比べて女性の落語家は圧倒的な少数派だ。

 

もっとも、この10年で女性落語家の数は徐々に増えてはいる。2009年12月に調べたときには東京に450人以上いた落語家の中で女性は前座も含めて19人、「真打&二ツ目」は12人しかいなかった。

 

女性落語家が少ない理由としてまず考えられるのは、伝統的に「落語は男が演るもの」とされてきたということ。1993年に三遊亭歌る多と古今亭千代菊が東京で初の女性真打になった際には「女流真打」という別枠を設けるべきではないかという議論があったほどだ。

 

その伝統の中で「老若男女を男性が1人で演じるもの」として磨き上げられてきた古典落語を女性が演じるのは無理がある、だから女性の落語家は女性のために作られた新作落語を演るべきだ、と提唱したのは三遊亭白鳥だ。白鳥は2010年、それを女性落語家たちが実践するきっかけを与えるために、自らプロデュースする「The Woman’s落語会」を立ち上げた。若手の女性落語家たちが白鳥に教わった噺を演じるこの会は2015年まで12回開催された後、2016年末に2夜のスペシャル企画として復活。2018年3月には「第14回」が内幸町ホールで開かれ、三遊亭粋歌、立川こはる、春風亭ぴっかり☆、林家つる子がそれぞれ白鳥作品を独自にアレンジして演じた。この4人はいずれも人気の女性二ツ目だ。

 

白鳥の言う「女性は女性向きの新作を演ればいい」という指摘は一面の真理である。ただ、プロの落語家になる女性はたいてい「古典が好きでこの世界に入った」と言う。そんな女性たちが、男性に混じってどのように個性を発揮していけばいいのか。

 

その「モデルケース」となるべき存在が、2017年に真打昇進した柳亭こみちだ。2006年に二ツ目となったこみちは、当初から「まっすぐな古典」をきっちりと演じる女性落語家として着実に活動の基盤を広げていった。女性の着物で高座に上がり、ルックスも女性らしい可愛さを備えたこみちだが、持ち前の「古典の技量」の確かさゆえに「女性が古典を演ることの不自然さ」を感じさせなかった。

 

だがこみちは「まっすぐな古典」とは別に、『蚤のかっぽれ』『植木のお化け』『虱茶屋』といった「音曲や踊りなどの“飛び道具”が入る噺」を積極的に覚え、これを自らの武器にしていった。

 

白鳥は、そんなこみちにも「女性のための新作」を教えた。最初は2008年9月、独演会のゲストとしてこみちを呼んで自作の『ナースコール』を演じさせたのである。さらに白鳥は「The Woman’s落語会」を始めると、こみちに『白鳥版明烏』や『女泥棒』、『姫と鴨』等の作品を提供している。これらは古典の世界感を新作に持ち込んだもので、現代を舞台にする『ナースコール』とは異なり、「古典のこみち」を求めるファン層にも受け入れられやすかった。

 

さらにこみちは桂枝太郎が狂言を落語に作り替えた『附子』、古今亭駒治の『ガールズトーク』を江戸の長屋の女性たちに置き換えた『うわさ小町』といった作品も自分のレパートリーに加えている。

 

現在、こみちは「古典」「飛び道具の入る噺や珍品」「女性が活躍する、女性にしかできない噺」を自身の3本柱としている。そして、その柱の1つである「古典」においても、かつてのように「まっすぐに演る」だけではなく、『富久』で日本橋石町の旦那のお内儀さんを登場させたり、死神が爺さんではなく婆さんの『死神』を演じたりと、「女性ならではの工夫」を重ねている。

 

こうしたこみちの挑戦は、今後の女性落語家にとって、1つの指針となるのではないだろうか。

 

現在の二ツ目では三遊亭粋歌、立川こはる、春風亭ぴっかり☆の3人が、それぞれの流儀で「女性落語家のあり方」を明確に示している。

 

三遊亭粋歌はもともと古典の演者だが、「古典を深く知るには新作を創ってみるといい」との先輩からのアドバイスで創り始めた「女性ならではの新作」で人気に火が点いた。粋歌の新作は、単に女性の登場人物を前面に出して活躍させるだけではなく、「女性の視点で物事を捉える」からこそ面白い。つまり「男性にはない発想」の新作なのだ。粋歌は三遊亭白鳥作品も手掛けているが、それらは白鳥が女性のために書いたものではなく、白鳥が自ら演じている作品を「自身の視点で練り直した」もの。白鳥が示唆した「女性は新作をやるといい」という方法論を、粋歌は自らの才能で独自に発展させているのである。

 

男性の着物で高座に上がり、女性要素をほとんど感じさせない「男前な江戸落語」を演じるのが、立川こはる。彼女は「女性の声で古典を演じる」ことに不自然さを感じさせない技量の持ち主だ。「落語の上手さ」が「女性であるというハンデ」を跳ね返しているという点では二ツ目時代のこみちに通じるものがあるが、こはるは「男らしく演じる」点で徹底しており、そもそも彼女を「女性落語家」というカテゴリーに入れることの方が不自然に思える。

 

こはると正反対に、「女性であること」を前面に出して演じることが魅力となっているのが春風亭ぴっかり☆だ。彼女は師匠の小朝直伝の『元禄女太陽伝』のように女性主人公が活躍する新作落語も持っているが、『お見立て』の喜瀬川や『権助提灯』の妾といった、古典に登場する女性の「女らしさ」を強調することで、個性を発揮している。キュートなルックスでアイドル的な人気があることが却って正当な評価を妨げているきらいがあるが、ぴっかり☆は物語をきっちり表現する技量を備えている。「古典に自分の演出を大胆に持ち込む」ことが当たり前になっている現代落語界において、ぴっかり☆が試みている「古典の中の“女らしさ”を武器にする」方法論は効果的だ。

 

ぴっかり☆が講釈ネタの『徂徠豆腐』を見事に語るのを観たこともあるが、これも示唆に富んでいた。今、講釈師の約半数が女流だが、それは「地語り」主体の講談の形式が女性に合うからだろう。たまたまそのときは立川こはるとの二人会で、こはるは地噺『平家物語・上』(談志十八番『源平盛衰記』の前段にあたる部分を独自にこしらえたもの)を演じてこれも素晴らしかったが、「地の語り中心の構成なら女性演者のハンデは小さい」ことも、今後の女性落語家がネタを独自にアレンジするうえで役立つかもしれない。

 

今挙げた4人に共通しているのは「当たり前に古典を演ってもちゃんと聴かせる腕がある」ということ。ここが重要なポイントだ。「女性には古典は無理だ」と思わせる演者は、女性云々の前に「落語がヘタ」なのである。

 

女子の割合が高い学生落語の大会などを観ていると、「女性は落語に向かない」なんて印象はまるで受けない。つまり「数の問題」でもあるのだ。これまで存在したプロの女性落語家の絶対数があまりにも少なかったからこそ、「巧い女性」「面白い女性」がなかなか出てこなかったのである。

 

「古典・飛び道具・女性ならではのネタ」の3本柱を武器とするこみち、「女性の視点による新作」を創り続ける粋歌、「女を感じさせない」こはる、「女らしさを武器にする」ぴっかり☆。彼女たちが道を切り開いてくれると、僕は期待している。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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