「最後に頼りになるのは保存された紙の資料」【第15回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

2004年に成功を収めた「大銀座落語祭」は年々規模を拡大し、2008年には参加落語家延べ400人、延べ観客動員数5万5千人を記録するに至る。この年の11月に行なわれた「第30回東西落語研鑽会」をもってこの落語会も終了。実質的にここで「六人の会」の活動も終わったと言っていい。

 

翌2009年には「六人の会」主催で10月11日(日)・12日(祝)の2日間に亘って「宮崎大落語祭」が行なわれ、これは2008年の「大銀座落語会」開催の時点で「今年で終わるこのイベントを引き継ぐ形で来年行なわれる」と予告されていたもの。当時の宮崎県知事は東国原英夫。2008年の時点で「六人の会」はこれを「落語ブームを地方に持っていくため」と発表したが、結局この1回で「六人の会」による「地方での落語祭」は終了した。

 

ちなみに「六人の会」に加わっていない唯一の団体、圓楽党(五代目圓楽一門会)では三遊亭楽太郎(2010年に六代目圓楽を襲名)が2007年より「博多・天神落語まつり」をプロデュース、規模を拡大しながら2018年現在まで継続している。

 

「大銀座落語祭」は毎年各会場で前売り完売が続出する人気のイベントとなり、落語ブームの加速を促した一因であるのは事実。連休でもあることから地方から出てくるのを楽しみにしていた人たちもいて、小朝の狙いは正しかったと言える。これまで落語に馴染みがなかった人たちばかりではなく、毎年熱心に足を運んだ落語ファンも大勢いた。

 

ただ、僕自身は5年間で参加したのは僅か5公演のみ。初参加は2007年7月14日(土)に博品館劇場で午後1時から4時まで行なわれた「1部:立川談笑の世界/2部:立川志らくの世界」。独演会2本立てで1,000円とは実にお得だ。続いてはその2日後の16日(月・祝)に銀座ブロッサム中央会館で行なわれた「究極の東西寄席」Gブロック(第1部:小沢昭一&加藤武/ 第2部:桂米朝/第3部:柳家小三治の会)で、この時小三治『天災』を演った。(米朝は小沢昭一との対談のみ) これはS席5,000円。

 

あとは2008年7月17日(木)・18日(金)・20日(日)に博品館劇場に3回通った。17日・18日は「談春と上方落語」と、この会で談春は初日に『慶安太平記(善達の旅立ち)』『慶安太平記(吉田の焼き討ち)』を、2日目には『三軒長屋(上)』『三軒長屋(下)』を演った。上方からは初日に林家染丸と林家染二、2日目は笑福亭松喬と笑福亭三喬が出演した。20日は「柳家喬太郎と上方落語その1」で、喬太郎は『ほんとのこというと』『純情日記・横浜編』の2席、上方勢は笑福亭福笑と笑福亭たまが出演した。チケット代は各1,500円。

 

「大銀座落語祭」は「お祭り」なので、各会場で行なわれるのは基本的に「企画興行」だ。小朝はさすがの情報収集能力と政治力・分析力を駆使して毎年なかなか興味深い「企画」を用意したと評価できるが、僕個人としてはさほど魅力を感じる「企画」が多いと感じられなかったこと、目ぼしい公演のチケットが取りにくくなっていたこともあって、ついつい足が遠のいた。

 

いや、正直言うと、プログラムを隅々まで読み込んで検討したりすることを、そもそも避けていたフシがある。それは僕が、基本的に「フェスが苦手」だから、というのが大きい。僕は、お祭り騒ぎの中でいろんなものを賑やかに楽しむのではなく、「好きなものに集中したい」というタイプ。それに、幾つかの会場を掛け持ちして歩き回るのも面倒くさがる無精者なので、「コマギレのプログラムを追ってあちこち移動するのもまたお祭り」という考え方は、肌が合わなかった。

 

小朝が提唱したのは「落語を観に行く日をハレの日にしてしまおう」ということ。それは「六人の会」として2004年に出版したフォト・インタビュー集『六顔萬笑』(近代映画社)に明記されている。僕は、それに異を唱えるつもりはまったくない。さらに小朝は「こんなことを言うと、寄席の良さは下駄履きでフラッと行かれるところだと、必ず反論する人がいるんですよ」と言っているが、そんな反論をするつもりもない。単純に、僕にとって落語は日常であってハレの日である必要がなかった、というだけだ。

 

ところで、この原稿を書くに当たって痛感したのが「最後に頼りになるのは保存された紙の資料だ」ということ。昨今あまりにインターネットが便利なので、ともすれば「ネットで調べればすべてわかる」と思いがちだが、「大銀座落語祭」の具体的なプログラムをネットで調べるのは困難だ。当時「大銀座落語祭」公式サイトは小朝の公式サイト内にあったが、それはもはや存在せず、今アクセスすることは不可能なのだ。そして僕が検索した限りでは、すべてのプログラムを記録したサイトは見当たらない。

 

なので、以下、僕の手元にある紙資料を基に、各年の「大銀座落語祭」の全貌を記しておきたいと思う。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
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