【第4回】「意識」する 著:三砂ちづる
三砂ちづる『少女・女・母・婆 〜伝えてきたこと、つないできたこと、切れてしまったこと〜』

失われゆく身体技法

この国でほとんど今は失われてしまった身体技法、「頭上運搬」に興味がある、と前回、書いた。ある身体技法ができる、ということは、どういうことだろうか。なぜできなくなるのだろうか。

 

なぜできるのか、というと、まずは、「できると思うから」なのではないか、と書いて、前回を終えた。できると思ったらできる。できないと思ったらできない。要するに体型とか技術の問題というより、「意識」の問題ではないのか。

 

技術があっても、「意識」がないと、できないのではないか。周りの人がみんなやっていることならば、自然にできる、と思うようになる。できる、と思うからやってみる。すると、周りと同じように、大体の人は、できる。周りに誰もやる人がいないと、できると思うきっかけすらない。きっかけすらないようなことは、できるようになる可能性は、ない、ということになる。

 

2000年代に入って間もない頃、「月経血コントロール」という研究をした(*1)。当時はまだ、東京都が、青山にある都立ウィメンズプラザで女性に関する研究などに助成金を出しており、「生理用ナプキンなど便利なものがなかった時代に女性はどうやって月経に対応していたのか」というような研究に、お金を出してくれたのである。

 

いろいろな人に聞き取りをしたり、文献を調べたり、実践したり、実践してもらったりして、少しずつ、わかってきた。その頃は私自身もまだリプロダクティブフェーズにあって、自分で試してみることもできた。

 

やっぱり、自分でやってみることもできた、というのは重要なことであったと思うし、たとえば、今、思い立ったとしても、人に実践してもらうしかないわけで、今ひとつ、気分が乗らなかったんじゃないかな、と思う。人生にはまことに、フェーズ変わり、というものがあるのだ。

 

ともあれ、数年に及ぶ研究の結果、月経は、おしっこ、ウンチのようにぴたっと止めて、トイレで出す、ということは難しいものの、意識してみるとかなりトイレで出せるし、昼間意識していると、夜は出なくなることも多いし、ものすごくたくさんの生理用ナプキンとか、おむつのような巨大なナプキンなどが、特に必要ではなくなることも、結構ある、ということがわかった。

 

 

きものの時代の女性の月経への意識

便利な生理用ナプキンが存在しなかった時代の女性たちは、きものを日常着としていた頃の女性たちでもあって、だいたいその頃の下着は、股に布がぴったりくっつくような「パンツ」のようなものではなく、単なる腰巻を巻いていたにすぎなかった。

 

女性たちは月経への対処を、上の世代の女性たちから微に入り細に入り丁寧に教えられていたわけではなかったが、「そういうものがある」から、「気をつけなさいよ」と言われていたという。「気をつけないと、粗相して恥ずかしい」ので、気をつける。気をつける、すなわち、意識を向けるのである。意識を向けていたら、「出そう」な感じがわかる。そうしたらトイレに行く。

 

聞き取りをした、当時90代の女性は、下腹がなんとなく気持ちが悪い感じになるから、生理になるのはいつも分かった、と言っていた。「出そう」になると、トイレに行く。

 

女性がたくさん働いている料亭などでは、いつも従業員用のトイレは混んでいて、お互い都合をつけあって、月経の時に対処していたのだという。小さな綿のようなものを膣のほんの入り口のところに少し詰めて、というか、置いておいて、「意識のマーカー」としていたようなこともあったようだ。

 

周りの人がみんなそういうふうにしていたから、おそらく、ほとんどの女性たちは、周りの人がやっているように、意識して、気をつけては、トイレで出していたのだと思う。粗相しないように。

 

「気をつける」の意味

これは別に超能力でもなんでもなくて、「出そうになるとわかる」ように、そちらに意識を向けている、ということである。月経のある女性は、月経中に、椅子などに座っていて、立ち上がった時に、どっと月経血が出るような感じを経験したことがあると思う。その感じがわかるのならば、椅子に座っていて突然立ち上がるのではない時にも、わかるはずである。

 

生理用ナプキンの普及していない頃の女性たちは、そういう便利なものがないからといって、垂れ流しにならないように、意識を向けていたのだろう。そうはいっても、粗相をすることもあるし、汚してしまうこともあっただろうから、そういうときのために、脱脂綿を経て、便利な生理用ナプキンが作られるようになっていったのだ。

 

いったん、そういうものができると、汚れないし、困らないし、ほうっておけるようになる。つまりは、そこに意識が向かなくなる。意識が向かなくなると、今までやっていたことは、できなくなる。できなくなることが普通になって、みんなできなくて当たり前になっていくと、やっていたことは、まるでウソのように、おとぎ話のように、奇跡のように、思えてくるのである。

 

これは「科学」や「医学」の問題ではないのだと思う。つまりは「意識」の問題なのであり、そこにどのような筋肉があるとか、そんな筋肉はない、とか、そんなことをして月経血が逆流したらどうするのかとか(本当にそういうことをおっしゃる医師がいらしたらしい。そちらの身体技法の方が難しそうだと思うし、そういうことを実際にやった人は見つけられそうにないので、できる、と思うことすらできないが……)、そういう問題ではないのである。

 

つまりは、医学的、解剖学的マターではなく、「意識する」「気をつける」の世界なのだ。科学ではなくて、意識だ、気だ、というと、もういっぺんに、いかがわしくて、あやしいことを言っていると言われるのかもしれないが、そういうことは私たちの日々の生活には、数え切れないくらいある。だから、家から出て行く人に「気をつけてね」などというのだし。

 

 

なぜ頭上の荷物が落ちないのか

月経血コントロールについては、このようにして、「できた人がいたのだ」という話をすると、興味を持つ人もあり、実際に試してみる人も出てくる。便利な生理用ナプキンがあるのだから、別にやらなくてもいいのだけれど、自分の体に興味があったり、生理用ナプキンがなんとなく気持ち悪いと思っていた人だったり、布ナプキンの方がいいな、と思ったりしている人はいるので、私の周囲でも、少なからぬ人数の女性が試してみるようになった。

 

そうやって、トライする人が増えると、若い友人のように、「もう、ティッシュペーパー程度しか、生理の時に必要じゃなくなりました」という人が出てきたりする。意識するようになってから、月経が早く終わるようになったり、夜に困らなくなったり、さらには月経痛も減ってくる人もいたりして、月経が「嫌なもの」「いとわしいもの」ではなくなってくる人もいる。できると思う、という人が増えると、変わってくるのである。

 

だから、前回の連載の終わりに言及し、この文章の冒頭でも取り上げた「頭上運搬」も同じようなことではないか、と考えているのだ。頭上運搬ができる人たちは、絶対に頭上に乗せた荷物を落とさない、落としたことがない、落とした人も見たことがない、という。

 

手に荷物を持っている時、ちょっと重たいからといって、その荷物をわざわざ落とす人がいるだろうか。スーパーの重い袋を二つ両手に持っていれば、重いからといって途中で放り投げたりしない。重いけれど頑張って家まで持って帰って、そこで下ろすのである。

 

頭に乗せて物を運ぶ時も、乗せたら、運ばなければならないから、運んでいたのだ。落とすわけにはいかないし、落とすものではない、と意識していたから運べたのだ。できる、という意識に、呼応するような身体能力があればこそ、なのであるが。

 

 

(*1)三砂ちづる『昔の女性はできていた』宝島社、 2004年。(現在は宝島文庫)

「少女・女・母・婆」

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年山口県生まれ。1981年京都薬科大学卒業。薬剤師として働く傍ら、神戸大学経済学部(第二課程)、琉球大学保健学研究科修士課程卒業。1999年ロンドン大学にて疫学のPhD。ロンドン大学衛生熱帯医学院リサーチ・フェロー、JICAの疫学専門家として約15年間、疫学研究を続けながら国際協力活動に携わる。ブラジル北東部セアラ州に約10年在住。2001年より国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務(応用疫学室長)。2004年より津田塾大学国際関係学科教授(多文化国際協力コース担当)。
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