akane
2019/04/25
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2019/04/25
「『%』が分からない大学生」に着目した、その名も『「%」が分からない大学生』(光文社新書)には、桜美林大学教授・芳沢光雄さんご自身の興味深い事例が綴られています。
昔、芳沢さんはご自宅の近くで面白い親子を見かけたそうです。
幼稚園に入園するかどうかの年頃の男の子を連れて散歩していた母親が、消防車を面白そうにずっと観察している子どもにずっと寄り添っている姿を目撃したときのことです。
その光景を見た芳沢さんは、不思議に思って母親に声をかけたところ、その子どもは1時間を過ぎても飽きることなく消防車を観察していたそうです。
ふつうであれば、夕ご飯の支度やテレビの時間などを気にして母親は子どもの手を強く引いて帰宅するでしょう。しかし、その母親は子どもが納得するまでずっと付き添っていたのです。
芳沢さんはその母親の姿を忘れることができなかったそうですが、20年以上過ぎてから、芳沢さんは偶然、そのときの母親と出会ったそうです。
そこでお子さんのことを尋ねたところ、その子どもは考えることが好きな人間として成長し、計算機をほとんど独力で学び、その方面で斬新な仕事をしていると母親から聞くことになりました。
このエピソードは様々な面で示唆に富んだものです。
これから本格的なAIの時代に入ると、仕事の中身は大きく変化すると予想されています。
その時代には、コンピュータや機械と競うような単純作業的な仕事は減り、それに代わって、創造的な仕事の重要性は高まってくると予想されます。
こうした時代を考えると、小学校の算数で習う「は・じ・き」(速さ×時間=距離)、「く・も・わ」(元にする量×割合=比べられる量)式の学びの延長であるマークシート式問題の答えを素早く当てるためだけの学習と、問題解決のためにとことん考え抜く学びを比べた場合、どちらが大切になってくるかは言うまでもないでしょう。
そもそも前者のような問題ばかりに慣れていると、「数学とは問題を見たら答えを素早く当てる教科」と勘違いしても不思議ではありません。
一時期、単純な計算だけを素早く行うと脳が“活性化”するという理由で、わざわざストップウォッチを持ち出して足し算と掛け算の訓練をすることが流行りました。
しかし、このような教育を子どもの頃に受けると、数学を誤解したまま大学生になってしまうのです。
前述の芳沢さんは、学生に対して、「問題を解くための手はどこかにある」という諦めない心が数学に限らず人生全般にわたって大切であることを強調して発言されています。
芳沢さんによると、数学の苦手な学生の大多数は、問題集の問題を見て解けないと判断すると、すぐに答えを見る悪い癖を付けているといいます。問題を見てから1分くらい経つと、自分で考えることを諦めてしまうのです。自宅で問題を解いているときはすぐに答えを見て、一方で小・中・高校や大学で問題を解いているときはすぐに「この問題の『やり方』を教えてください」と教員に尋ねることになるのです。
芳沢さんは、「問題が解けなくても、せめて15分くらいは自分で考える癖をつけよう」と再三伝えているそうです。
その訳を説明しましょう。
最近はカーナビが発達したことで、自動車の運転者が道に迷うことはほとんどなくなりました。しかし、一昔前までは、当然のようによく道に迷っていました。そして、運転者が道に迷った後に目的地に到着した場合、運転者は同じ道を走ると二度と迷わないのが普通です。ところが、同乗者は迷うことが多いのです。
これは、数学の問題を解く場合に似ていると、芳沢さんは語ります。
解けない場合でも、しばらく考えてから答えを見たり他人に教えてもらったりすると、迷った分だけ「面」として理解することができるという性質を帯びることになります。
そこで、時間を置いてから同じような問題に取り組んでも、なんとか解けるようになることがしばしば生じるのです。
一方、すぐに答えを見たり他人に教えてもらったりしていると、しばらくは最後の答えまでの道順を「線」として覚えています。しかし、時間を置いてから同じような問題に取り組むと、手も足も出なくなってしまうのです。
だからこそ、仮に自力で問題が解けなくても、「線」として理解するのではなく、「面」として問題を理解するためには、時間をかけて問題に取り組むのが大切になります。
ねばり強く考える心が大切なのは、それゆえです。
※以上、『「%」が分からない大学生』(芳沢光雄著、光文社新書)から抜粋し、一部改変してお届けしました。
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