亡くなった息子の「人形」に語り続ける日々 グリーフケアの専門家が語る「心の穴」との向き合い方
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gimahiromi

2019/06/28

人は、生まれるとともに失っている――。
病院や葬儀社など、あらゆる「喪失」と対面してきた死生学・グリーフケアの専門家である著者が「心の穴」との向き合い方を綴った光文社新書『喪失学』(坂口幸弘著)が刊行されました。刊行を記念し、本書の一部を公開。
「喪失」とは何なのか? 「ロス後」をどう生きていくか? 著者のいう「喪失のある人生は、必ずしも不幸ではない」とは、一体どういうことなのでしょうか。第2回です。

 

 

喪失と向き合うために必要なこと

 

落ち込むのは当然

 

「これからどうやって生きていけばよいのかわからない。何もする気がしない」

「前向きにならないといけないとは思っているけど、それができない」

「誘ってくれる人はいるが、外に出かける気分ではない」

 

大切なものを失ったときに、このように深く落ち込み、何事にも無気力になることは自然である。

 

身を切るような悲しみや、湧きあがる怒り、言葉にできない苦しみもあるだろう。自分の人生が終わったように感じ、先のみえない絶望感に、生きていても仕方がないと思うことさえある。

 

自分でも驚くほど落ち込み、制御できないくらいの感情を抱くのは決しておかしなことではない。

 

失ったものが、自分が意識していたよりもずっと大事なものであった証である。

 

重大な喪失は、人生のなかで、そう何度も経験するものではない。

 

たとえば、配偶者や子どもの死に直面するのは、ほとんどの人にとって初めての体験である。それゆえ、「このつらさがいつまでも続くのではないか」「自分は人とは違うのではないか」などと不安になることもありうる。

 

遺族の集まりにおいて、一日のなかで、いつ頃に気持ちがつらくなるのかという話題になったことがある。

 

配偶者を亡くして一人暮らしとなったある女性は、「夜がつらい」と話された。日中、明るいうちはいいが、暗くなるとたまらなく寂しくなるという。参加していた他の遺族の方も深くうなずいていた。

 

一方で、「朝がつらい」という方もいた。目が覚めて、パートナーがいないという現実をあらためて実感することが耐えがたいという。これにも同調する声があがった。

 

人によって受けとめ方は異なるであろうが、同じような思いや体験をしている人は自分以外にも必ずいる。一人ひとりの体験は決して同じではないが、たいていの場合、自分の体験が異常であると心配する必要はない。

 

国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏は、奥様をがんで亡くされた後、つらい気分を麻痺させるため、酒浸りの日々だったという。

 

「我ながら、良く生き延びたものだと思う。死ねないから生きている。そんな毎日だった。(中略)地べたを這うような日々は、終わりが見えなかった。永遠に続くのではないかと絶望的になった」

 

と当時を振り返っている。

 

同じく奥様をがんで亡くされた川本三郎氏は、垣添氏との対談のあと、

 

「理知的なお医者さんでも妻の死のダメージは大きいのだなと、ある意味、安心した」

と著書で述べている。

 

川本氏も、妻の死後、何もする気になれず、家のなかは散らかっていて、人に会う気もせず、軽いうつ状態だったかもしれないと述懐している。

 

重大な喪失に直面してひどく落ち込んでいたとしても、多くの場合、その状態は異常ではないし、今のままの苦しみがいつまでも続くわけではない。

 

向き合い方に正解はない

 

重大な喪失に直面して落ち込んでいると、周囲の人が心配して色々なアドバイスをしてくれるかもしれない。過去に同じような体験をした人から、みずからの経験を踏まえた助言が与えられることもある。周囲からの気遣いはありがたい反面、「人からあれこれ言われるのはイヤ」という人も多い。

 

重大な喪失にはそれぞれの特性や状況があり、直面した人の受けとめ方や反応、向き合い方も大きく異なる。喪失に対してどう反応し、どう向き合うのが正しいのかを一律に定めることはできない。喪失体験は、きわめて個人的な体験である。他の人にとっては役に立つ助言でも、自分にはそうでないこともある。

 

喪失にどのように向き合うのかは、人生をどのように生きるのかに通じる。

 

生き方に一つの正解がないのと同様、喪失への向き合い方にも絶対的な解があるわけではない。「今の自分」には合わないことでも、しばらく時間が経ってから、受け入れられるようになることもある。

 

同じような体験をした人の話を聞いたり、手記を読んだりすることで、みずからの喪失体験を客観視し、これからの歩みに向けてヒントが得られることもたしかにある。そうはいっても人それぞれ体験が異なるのだから、自分の考えとは違うと感じる部分も必ずある。

 

他者の考えや助言にそのまま従う必要はなく、基本的には自分が良いと思える向き合い方でかまわない。本書も当事者の声や文献資料などに基づき、喪失体験について論じているが、異なる考え方や向き合い方を否定するものでは決してない。

 

以前、NHKの情報番組で、「遺人形」というものが紹介されていた。

 

「遺人形」とはプリンターを用いて、写真から作成された故人そっくりの人形(フィギュア)である。高さは20~30cmで、素材として特殊な石膏もしくは樹脂が用いられている。

 

番組では、息子を交通事故で亡くした夫婦が、息子の人形に語りかける様子が紹介されていた。

 

他にも、夫をがんで亡くした女性は、人形に日々語りかけているうちに、死を受け入れられるようになってきたという。

 

このような「遺人形」を作成することに対して拒否感をおぼえる人もいるだろう。

 

場合によっては、悲嘆のプロセスにおいてマイナスに作用する可能性も捨てきれない。

 

しかし、ここで重要なことは、亡き人の人形を手元に置くことを望み、それが心の拠り所になっている遺族が実際にいるという事実である。

 

最近では、遺灰を収納したペンダントやリング、遺骨の成分で作った合成ダイヤモンドなど、手元供養とよばれる商品も広まってきており、「故人をいつも身近に感じたい」という遺族の要望に応えている。

 

あきらかに問題があると判断されない限りは、それぞれの向き合い方は尊重されるべきであり、その善し悪しを評価するよりも、一人ひとりが抱えている思いに目を向けることが大切である。

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喪失学

喪失学「ロス後」をどう生きるか?

坂口幸弘(さかぐちゆきひろ)

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