ryomiyagi
2020/08/06
ryomiyagi
2020/08/06
深谷駅前から少し歩を進めると、数分で見慣れたチェーン系の飲食店が並ぶ駅前らしい風景は消え、住宅街になる。
錆びたトタン張りの木造家屋が続くが、そんな街並みに溶け込むかのように、軒先にガチャガチャを並べた、いかにも昭和の駄菓子屋然とした店に出くわした。
そう、ここで深谷もんじゃが食べられるのだ。
ガラスの引き戸をガラガラと開けると、まるでファミマにでも来たような電子音のチャイムが奥から聞こえてくる。駄菓子屋とは自宅の表を店にして、奥は普通の住居というのが基本なので、客が来たら分かるように鳴る仕組みになっているのだろう。
しばらくしてオバチャンが出てきてくれた。もんじゃを焼きたい旨を伝えると、駄菓子コーナー裏の部屋に通された。
モロに、家の台所と居間に挟まれた空間に、焦げ茶色というか黒ずんだメチャメチャ年季の入った焼き台が待っていた。
オバチャンがもんじゃをスタンバってる間、駄菓子スペースに行ってベビースターを調達。一緒に冷蔵ケースから瓶のコーラを抜き取り「ジュースもらいまーす!」と一声かける。このやり取りは正しく小学生時分のまま。
生地は白っぽく、標準で玉子が入っているようだ。玉子を入れると味がとてもマイルドになり、主張のあるソースの味と引き立て合う。
生地自体はユルめで、オヤツもんじゃらしさを保っている。その分、溝に流れやすい。後半汁が多くなると流れやすくなるので、なかなかに緊張感がある。
気を張りつつも完食。ホンモノの駄菓子もんじゃを思いっきり堪能できて、心地いい満足感で全身が満ちた感じがした。
深谷での目的の1つ、駄菓子屋もんじゃを堪能したところで、もう1つの目的、日本煉瓦製造の痕跡を探すとしよう。
コミュニティバスで走ること20分少々、小山川からさらに分かれる唐沢川との分岐点辺りに着いた。
バスから降りた途端、目の前にズラーッと続く見事な茶褐色のレンガ塀が立ちはだかった。この中がいよいよ日本煉瓦製造工場だ。
しかーし、門扉は固く閉ざされたまま。偶然に居合わせた行田市職員に話しかけると、見学は土日のみとのこと。ガビーン。しかし、数分で外観だけならと敷地内を見せてくれた。
レンガ造りの変電所や、ドイツから招聘(しょうへい)された技師らが住んだ、洋風板張りがモダンな住居兼事務所があり、事務所の裏手に回ると、軒下が開いていて、礎石にもレンガが使われているのを確認できた。
見事で数分でも見ることができて幸いだったが、本当はレンガを焼き上げる窯・ホフマン輪窯(わがま)が見たかった。保存修理工事中につき、2024(令和6)年頃にならないと見学再開しないという。残念だが仕方ない。
工場の創業から8年後の1895(明治28)年に、工場のある上敷免(じょうしきめん)から深谷駅まで約4kmの日本初の産業用専用鉄道が敷かれた。その跡が今は遊歩道となっている。
深谷駅までこの廃線跡を歩いて戻るとしよう。
工場跡を出てすぐ、雑草に覆われ、見逃してしまいそうな小川に、わずか2mのレンガアーチ橋が架かっている。薄暗くてビビるが、勇気をもって茂みに入って横から眺めると、おおっ、これぞレンガ遺構という陰な風格が漂うフォルムが拝める。
この先、国道17号深谷バイパスを越えたところに公園があるのだが、ここにかつて敷かれていた線路が保存されていた。
芝生が広がる一角におもむろに現れてビックリだが、先ほどと同じプレートガーターと、プレートを箱型にしたボックスガーターという橋桁の2つの橋を見ることが出来る。
遊歩道側が土手になっていて、高い位置から見下ろすと、白っぽい枕木がところどころ朽ちている様が、時の流れを感じさせた。
旧中山道とぶつかるところに、常夜燈という1840(天保11)年に建立された、街道沿いに設置される一晩中明かりをつけた建造物がある。
ここで一旦廃線跡を逸れて、街道沿いを散策。この辺りに旧深谷宿があったようで、通り沿いには古くからの建物が残り、近年まで街の中心だったことが窺える。
錆びた看板に導かれるように路地を入ってみると、昭和末期を思わせる小綺麗な喫茶店「ホリー」が佇んでいた。
店内もやはりなんでもない日常風景に溢れていて、コスメティックルネッサンスなイラストのパズルが飾られていたり、長居してくれといわんばかりに漫画がたくさん並んでいる。定番のマンサン(町中華や床屋でも必須の『漫画サンデー』)以外にも新しめのものもあり、スーパードクターKの続編が刊行されてるとここで知った。
実は、深谷ならではのお目当てメニューがある。
深谷もんじゃ風ピザライスだ。
硬めのご飯が敷かれた上にチーズが乗って、その上にネギや桜エビ・鰹節などのもんじゃの具が焼かれている。
上に青海苔かかってるしソースの味もするので、最初はどちらかというとお好み焼きっぽい味に感じられたのだが、食べていくともんじゃっぽい味になるから不思議だ。恐らく、鉄板の端に出来たチーズ等の焦げがもんじゃ的アクセントになってるのではないかと。
しっかり作られた味ながら、喫茶店らしい軽食であることを守っている。このバランス感覚が実に素晴らしい。
旧中山道に出ると、レンガで造られた煙突が幾つか見える。深谷には酒蔵が多く存在し、煙突や蔵が地場産業であるレンガで造られている。
「東白菊」と白地で書かれた一際目立つ煙突が建つのが、藤橋藤三郎商店。
江戸時代末期、1848(嘉永元)年に越後から来た酒蔵で、現在は売店も併設しているので、お土産にピッタリだ。小瓶300mlを一つ求めたが、穏やかにスッキリ飲める日本酒だった。ちなみに、渋沢翁のラベルの瓶も販売されている。
レンガ造りをよく見ようと酒屋の裏手の路地に入ると、廃墟となって長らく放置されているようなボロボロの民家があった。
周囲にはシャッターを閉めた木造平屋建ての商店が多く昭和の頃までは栄えてたんだろうなと思われるが、多くの地方都市や旧宿場町と同じく、地場産業が過去のものとなった街特有の侘しさが漂っていた。
旧道を西へ進むと、さらにレンガの煙突が見えてくる。レンガ蔵や商店が密集する横丁のようになっていて、入ってみると、なんと蔵が映画館になっていた。ここ深谷シネマは、300年の歴史を持つ七ツ梅酒造の跡に、2010(平成22)年4月に移ってきたようだ。
この深谷シネマ一帯は、かつて賑わっていた頃の深谷らしい建物をリノベーション的に残して、雑貨屋やカフェが営業している。
なんでも安直に古民家をカフェにするような風潮はいかがなものかという意見もあろうが、周辺の状況を見ると街の活性化はかなり厳しいと思う。
「ここだけでも往時の街並みを留めてくれたら」……。
駅に戻り、乗り込んだ帰りの電車の車窓から、遠ざかる深谷の街を眺めていると、そう願わざるを得ないのだった。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.