愛する人との記憶が自分を生かし、支え続ける
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BW_machida

2021/04/16

コロナ禍で一年以上も実家に帰れていない。家族や友人とも気軽に会えず、外食もできない。自由に会うことが叶わなくなってから、大切な人たちのことをよく思い出すようになった。著者の岡田尊司さんは、精神科医としてこれまで多くの人の心に向きあってきた。病で急逝した母親との記憶を辿りながら綴られた本書には、誰もが経験することになる「母親の死」を受け止めていく著者の姿が記されている。この本がコロナ禍に刊行されたことも大きいだろう。母親を失うことの喪失と悲しみ以上のものが、ここには描かれているように思えてならない。

 

著者は、冒頭で本書を執筆するに至った経緯を3つ述べている。ひとつは、母親を亡くすという体験は誰にとっても大きな出来事であり、著者が体験し感じ、考えたことが何かしらの参考になるのではと思ったから。二つ目の理由は、精神科医としての仕事に関わるものだ。著者には不安定な愛着に苦しむ人たちの治療に携わってきた経緯がある。そして3つ目が、新型コロナウイルスが家族との永訣や看取りの形を激変させてしまったこと。感染拡大の懸念から、無言の別れを告げなければならない事態が頻発し、喪失感や罪責感を引きずる人が増えている状況にあることが関係している。「そうした過酷な事態によっても、決して変わらないものがあるのだということを伝えることは、意義があるように思えるのだ。」そう著者は語る。

 

まだ小さな子供のときに、遊び疲れて眠ってしまった自分を運んでくれた母のこと。「暗がりの中を進む間、まだ眠気の残る体を母親の背中に押し当てながら、なんとも言えない安心感と心地よさを味わったものだ。」素直に謝まることができず、悪態をついて外に飛び出して隠れていたところを見つかったこともある。「見つからなければいいという思いと、見つけてほしいという思いが、私の中でせめぎあっていた。」大学生の頃まで、自分から連絡するのは必要なときだけだったのに、母は不満を口にせず、勝手な泣き言を自分のこと以上に心配してくれたと著者は語る。なんて暖かくて甘い記憶だろう。著者の母親に対する複雑な心の様子が、丁寧に綴られていく。

 

「父と母がそこにいることが当たり前だった時間。楽しいことばかりではなかったし、怒りや嘆きに胸をかき乱すことも多かった。貧しい暮らしで、その日のお金にこと欠くことも始終だったが、どんなときもそばにいて、思いを込めて応えてくれたということ。それだけで十分だったのだと思う。」

 

著者はそんなふうに過去を振り返り、さらにこう続ける。

 

「悲しみにとらわれてばかりでは、人は前に進んでいけない。その記憶を保ちたいと思う一方で、他のことにかまけ、気を紛らわせようとする自分がいる。この手記を書き進めることは、そんな逃れようのない忘却に、少しでも逆らおうとする試みだったのかもしれない」

 

やり場のない気持ちやもやもやした思いを解き放つことは、いくらか心を楽にしてくれるものだ。精神科医として人の話を聞く仕事をしている著者は、言葉を交わすことが人間にとって大切な営みであることを読者にも説く。著者は母を失ったあとでも、母の記憶に支えられているのではないか。誰かの死に直面することは、自分の生を見つめ直すことにもなるということを、私は本書に教えられた。読み終わったあと、大切な人に会いに行きたくなる本だ。

 

母親を失うということ』光文社
岡田尊司/著

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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