BW_machida
2022/04/12
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2022/04/12
かつて女性ファッション誌が担っていたカタログ的要素――流行や新商品を紹介し、おしゃれな人をロールモデルとして取りあげ、着こなしのアイデアを提案するといった役割――が、雑誌のもとを離れて久しい。
「インスタグラムなどで人気のモデル風美女たちは毎日手軽にワードローブや愛用コスメを紹介するし、通販サイトは直接着こなし例を載せて商品を見せるし、それらの情報が国や地域に一切限定されることなく、無料で日々手のひらに舞い込む。そのスピード感には、多くのスタッフを動員してロケやスタジオで撮影し、広告を集め、書店で販売される紙メディアは太刀打ちできない。」
女性誌のおおくは「生身の女性の視点」を取り入れるために、女性を編集長に据えている。そのほうが読者の共感を得やすいからだ。一方、「男性にとって魅力的な、選ばれる女性になる」というメッセージを発信し続けてきた「JJ」は、創刊当初からカリスマ的な男性編集長のもとで誌面作りを行ってきた。事実、このファッション誌が提示した「女らしさ」は多くの読者に受け入れられ、女子大生のバイブル的役割を果たした。
女性誌の歴史を振りかえると、女性たちが雑誌になにを求めてきたのかがよく分かる。日本の婦人雑誌は、明治期にインテリ女性に向けて発行された思想性のある雑誌から始まった。雑誌の売り上げが低迷している今となっては信じられないが、50年代から70年代、四大婦人雑誌(「主婦之友」「主婦と生活」「婦人倶楽部」「婦人生活」)の発行部数は200万部を超えている。服飾雑誌も合計すると100万部以上もあったという。主な読者は主婦や職業婦人で、当時の雑誌は、現在のファッション誌よりもターゲット層が広かったようだ。
戦後の洋裁ブームを経て、ファッション雑誌の時代がはじまる。家庭のなかで洋裁をしていた女性は、既製服を消費する女性へ。「an・an」や「non-no」といった80年代初頭にかけて登場した雑誌は、既製服の紹介がメインだった。やがて世の女性たちは「この雑誌を読んでいる人はこういう人」というイメージを作り上げていく。お嬢様ファッションにこだわり、男性陣にとって魅力的な女性を目指していた「JJ」に象徴されるように、読者にとって女性雑誌とはファッション情報を得るためだけのものではなかったのである。
たしかに「かつての雑誌はもっと押し付けがましくて、もっと断定的で、もっと単眼的」だったかもしれない。しかし「それが私たちを狭苦しい価値観に閉じ込めたかというとそうでもない」という著者の主張に、深く頷いてしまった。では、部数80万を誇った「JJ」は、今となっては時代錯誤的な雑誌なのかというと、そうでもない気がする。
「学生時代に惹かれる雑誌によって、どんな価値を信じる集合体に所属するのかを言い当てられる時代に比べて、自由度が格段に上がった現在、何をもって自分の選択を繰り返していくのかは、各々が自分の言葉で語らなくてはならない時代になった。」
それはすなわち、ロールモデルがいないということであり、自分の個性を各々で選択しなければ日々のワードローブを選べないということでもある。ファッション雑誌が失われつつある世界は、もしかすると、想像しているよりも不自由で生き辛い世界なのかもしれない。
『JJとその時代』
鈴木涼美/著
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