今の経済は「経済」と呼べるか?自分の人生と重ねて社会の課題を考える。
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BW_machida

2021/07/15

 

「夜中にふと目を覚ましたとき、私はアメリカじゅうの無数の家庭に思いを馳せる。そこでは、何百万人もの誰かが、私と同じようにこの時間も起きているだろう。彼らの多くが、押しつぶされそうな不安と向き合っているにちがいない。子どもたちに満足な生活を与えてやれるだろうか? 破産したらどうしよう? 今月の支払いをどうやって乗りきればいいのか?」

 

著者のカマラ・ハリス氏は、アメリカの副大統領であり、一人の妻であり、そして母親でもある。これまで医療保険制度や移民問題、国家安全保障、オピオイド鎮痛薬の乱用、加速してゆく不平等や格差といった複雑な問題に対処してきた著者のもとには、逼迫した状況を伝える国民からの手紙がひっきりなしに舞いこんでくるという。

 

住宅、医療、教育、育児……そこに書かれているのは、「生活苦に陥ったアメリカ人の物語」だ。どの家庭も、それぞれの事情を抱えている。そのいくつかは個人的な悩みに過ぎないのかもしれない。しかし、手紙を通して伝えられる悲痛な訴えは、アメリカが今まさに取り組むべき課題そのものでもある。

 

「私にとって、自分に送られてきた手紙を読むことは、主要な政策課題に対して有権者がどう考えているのかを理解する以上の意味がある。私はそれらの手紙から、人々がどのような暮らしをしているのかを、喜びと不安の両面から理解したいのだ。多くの場合、有権者が手紙を送ってくるのは、本当に切羽つまったときだといえる。心底困っていて、あらゆる手を尽くしているのに、なにをやってもうまくいかない。そんな状況だからこそ、私に向けて、何が自分たちの人生を変えてしまったのかを語ってくれるのだ。」

 

著者が学生だった80年代以降、高等教育にかかる費用は賃金の3倍以上のスピードで上昇している。乳幼児の平均的な一年間の養育費は、公立大学の一年間の授業料よりも高いと言われている。医療費の自己負担額がまかなえないから、怪我もできない。最低賃金で週40時間働いても、アメリカの99%の郡では、寝室が一つきりのアパートを平均的な賃料で借りることさえできない。

 

62歳の男性は、世界金融危機に旗を発する大不況で資産のすべてを失ったと手紙に書いてきた。老後の蓄えがないのに、働くことのできる期間は残り少なくなってきている。家計が破綻の瀬戸際にある夫婦は月々の家賃を払うだけで精いっぱいだ。それでも夕食の用意をしなくてはならないし、車にガソリンを入れなくてはならない。本書によると、アメリカの労働者はこの40年間、ほとんど昇給を経験していないという。一方で、企業の利益は上昇し、CEOたちは平均的な労働者の300倍もの稼ぎを得ている。こうした深刻さを著者は手紙のなかに見てとる。彼らには、とにかく時間がないのだ。

 

「経済成長の目的とは、みなで分け合うためのパイを大きくすることにあるはずだ。労働者の手に残るのがパンくずしかないような経済が、果たして経済といえるのだろうか?」

 

女性たちの状況はさらに深刻だ。著者によると、アメリカの平均的な女性はいまだに男性の1ドルに対して80セントの収入しか得られていないという。黒人女性の場合は、63セントとさらに下がる。政治家は勤労の尊さをことさら強調するが、現代社会では長いあいだ、過酷な労働の大半は報われることなく、評価されることのないまま放置されてきた。著者は、状況を変えるために「まずはこの事実を直視しなければならない」と語る。

 

アメリカ社会の抱える問題を声高に叫ぶのではなく、自身の人生を物語りながら問題の核心に触れていく構成がいい。本書は、アメリカの副大統領としてだけでなく、一人の女性としてのカマラ・ハリスを知ることができる一冊だ。

 

『私たちの真実 アメリカン・ジャーニー』
カマラ・ハリス/著 藤田美菜子・安藤貴子/訳

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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